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「なぜ、列島に日本という国ができたのか」書評

<概要>
大化の改新から遡って縄文時代まで日本列島を主役に、日本列島・朝鮮半島・中国大陸にまたがる東アジア史を俯瞰した著作。

<コメント>
列島においては、どのような「社会の虚構(※)」をベースに歴史が展開されたのか?

※社会の虚構=共同体を形成する根拠となる価値観(宗教、社会契約などの思想)

その手始めとして今、オープンカレッジでオンライン受講している仁藤敦史先生(国立歴史博物館教授)の「倭の五王」を受講中。そして仁藤先生の共同著作という本書をまずは手に取りました。

なお大化の改新以前の歴史に関して「日本書紀」「古事記」(記紀神話)は、体制の都合の良いように作った”神話”なので=史実かどうかは不確か。したがって歴史学の世界では、他の史料(中国の同時代の宋書などの史書)や遺跡から出土した出土品の金石文などとクロスチェックした上で史料として活用するそうです。

さて、受講内容を横目にみつつ、列島に展開した共同体は「中国王朝の承認をもって、その権威(=社会の虚構)と為す」みたいなところがあるんだな、というのが最初の感想。

まずは列島文明化の成り行きです。

■原始狩猟採集社会→農耕社会への転換(宮本一夫説)


①BC4000年紀後半:華北型農耕=あわきび栽培が南下して朝鮮半島北部に拡散
②BC3000年紀後半:稲作が朝鮮半島中南部に達してアワ・キビ栽培と複合
③BC2000年紀半ば:水田が山東半島から遼東半島を経て朝鮮半島に拡散
④BC 700年紀   :穀物栽培コンプレックスが日本列島に伝来

この宮本説、世界基準となっている福井県水月湖の「年縞」によって判明した寒冷期のサイクルと見事に一致しているというから驚きです。

①寒くなる
②食物が減って飢える
③新しい技術を導入しようというインセンティブが働く
④新しい技術(=農耕)が伝播していく

という西アジアで起きた「農耕発祥のストレスモデル」と同様のセオリーです。

■農耕社会→共同体の形成フロー

農耕社会が形成されて以降、小集団は次第に大型化して「誰が首長たるか」を列島&同じ文化圏だった朝鮮半島南部の共同体間で根拠づけるための大義名分=虚構探しが始まります。

そして見つけたのが「中国王朝の権威と文明」に基づく「冊封体制への参画」と先進文明の象徴たる「鉄器・青銅器の活用」。鉄器・青銅器は、生産性向上のための農具としてはもちろん、武器や権威の象徴としても活用。

(以下、ハマっていた三国志で体験した世界が、見事に列島の共同体形成にシンクロしているのが個人的に面白かった)

①後漢が衰退(宦官や外戚が暗躍する魑魅魍魎の世界)
②楽浪郡産出の鉄器が放出(黄巾の乱が起き、各地に三国志の英雄含む軍閥が跋扈。その一角としての「公孫氏」が河北省から朝鮮半島にかけて支配)
③倭まで鉄器が流通
④鉄器をめぐる争いに畿内地方(=卑弥呼?)が優位に立つ
⑤中国王朝に朝貢=冊封体制への参画

以上、天から統治を委任された天子たる中国王朝皇帝の権威づけを根拠とした共同体の権威づけが列島の共同体の支配根拠たる大義名分となりました。

具体的には、卑弥呼の邪馬台国(魏)、倭王武=雄略天皇(南朝の宋)へと、数ある列島の有力共同体の代表として(この時代においては統治するまでの支配力はなかった)、中国王朝と冊封関係を結んだということです。

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