見出し画像

社会貢献⑩

Twitterを見ていて興味深いツイートを見つけたので共有したいと思います。本も出版されているムギタロー氏によると

『なぜ、国が弱者を助け、無敵の人を減らす必要があるのか?を書いていきます。

生活保護やホームレスとかに、「そういう状況になるのが悪い」「いろんな良い方法があったのに、その道を選んだやつ悪い」といった自己責任論はよく見ますが、

こういった自己責任論は、私たちの身の回りの学校や会社レベルの話であれば、多少は仕方ない部分はあります。

しかし、国家が「できない人は、自己責任だ」と考えるのは完全な間違いです。

自分だったら、どうする?

想像してみてください。
あなたは、日本でサラリーマンとして元気に生きているとします。恋人もいるとしましょう。 ある時、あなたと家族とドライブ中に事故にあいました。 

両親は死んでしまい、あなたは助かりましたが、脳に障害を持ち、仕事ができなくなりました。お金が稼げません。家族もいません。 

「仕事ができないんだ。助けて」と言っても、会社は「自己責任だ。仕事ができないのが悪い」と言って助けてくれません。 何もできなくなったあなたは、恋人にも捨てられてしまいました。

「誰か助けて」とあなたは道端で叫びますが「助けてくれる友人を作ってなかったのが悪い。自己責任だ」
「障害があってもできる仕事を探さないのが悪い。自己責任だ」
「恋人に捨てられるような人間だったのが悪い。自己責任だ」と誰も助けてくれません。

「なんで誰も助けてくれないんだ。もう死んでやる」とあなたは叫びます。しかし人々は言います。

「死ぬなら迷惑かけず勝手に死ね」「社会の足手まとい!消えろ」「お前が無能なのが悪いんだよ」

さあ、この時、あなたならどうしますか? 考えてみてください。

「自殺する」
「ムカつくやつ全員殺して自分も死ぬ」
「ホームレスになって道端で生きる」
「泥棒になる」
「社会を憎んで、無差別テロして暴れる」
「特定の政党や政治家を恨み、殺しに行く」
など、人によって、答えは様々だと思います。ただ、どの答えも平和的な未来には繋がらないはずです。

こういう追い詰められた無敵の人がたくさんいたら、みんなが安心して過ごせません。外に出れば、「無差別テロを起こせる無敵の人」が何人も歩いています。

不安で、仕事に集中できません。みんなが安心して過ごせないと、『面白いゲームを作ろうかなー』とかみたいな技術発展も起きなくなっていくし治安の悪い息苦しい国になっていくんです。経済も低迷する悪循環になります。

文明の発展って、心に余裕があって初めてできるものだからね。じゃあ、そもそも弱者が現れないようにしたら?って思う人もいるかもですけど、絶対に弱者は現れます。

競争→社会的弱者を守る政策

なんの分野でも、ヒトが100人競争すれば、平均以下の人が50人います。その50人のうち10人は「平均と比べてすごくできない人」扱いされるでしょう。

統計的な事象なんです。弱者かどうかなんて、平均からの差でしかないんですもん。「社会的弱者」は絶対にいなくならないのですし、

病気や事故で明日僕やあなたが『無敵の人』になる可能性もあります。

ここで大事なことは、事件を起こした弱者を責めても、状況は変わらない。ってことです。

去年の、京王線のジョーカー模倣犯もそうでしたけど、なにも持たない無敵の人に、いくら世間が個人攻撃をして『そういうことはやめろ』って言ったところで、何の効果もありません。

このような、「誰にも助けてもらえない追い詰められた弱者」が例えば0.01%いたら、日本人1億人の中で1万人も無敵な人がいることになります。追い詰められた無敵の人が1万人いたら必ず何人かは、無差別テロしようってやつが出てきます。

それはもう統計的な事項だから、避けれません。
大事なのは、1万人も追い詰められた弱者を、生まないようにすることです。

だから、国が、弱者になってしまった人を、助けてあげるんです。そのために、いわゆるセーフティネットが整備されることになっています。

そもそも、人間は群れを形成して生きる生き物です。私たちは1000人を超えるような大きな集団を作り、役割分担をしながら助け合って生きています。

その集団が高いパフォーマンスで機能し続けるためには、できない人をできる人が助けてあげることが不可欠です。「怪我や病気で仕事をできなくなったら、その瞬間に見捨てられてしまう社会」では誰も安心して暮らせませんし、余裕のある生活はできません。誰もリスクを取らなくなりますし、全員が保守的になって技術発展や生産が阻害されてしまいます。

社会に余裕がある限り、働けなくなった人も助けるのが、人間という社会的動物の生存戦略なんです。~ここから、少し政策の話になります~

政策

『社会に余裕が無いから仕方ない』という人もいるでしょうが、そんなことはありません。

今の日本には、1億2千万人が生きていけるだけの食料も衣類も家電も、物理的に存在しています。モノが飽和して、あふれているのに、

『あの弱者を助けることはできない…』となることはありえません。

いまはただ、弱者をうまく助けられない制度になってしまっているだけです。

つまり、『国家という分配システムの不具合』で、無敵の人が大量に表れてしまっています。運営側のプログラムにバグがあるだけなんです。

その原因がどこにあるか?を考えていくと、ぶっちゃけると
社会全体が、税を財源と勘違いしてしまっているからです。

これはとんでも説でもなんでもなく事実です。

いまのような信用貨幣という種類の通貨を使う場合は、税が財源じゃないんです。

これは僕の個人の意見とかではなく、経済学でのただの事実です(軽く参考文献を貼っときます。)

経済学

今から説明しますね。

当たり前ですが、お金は国が発行したものです。
一万円札を作っているのは国なのに、国が『一万円札が足りない』となるわけがないのです。

あーもう全部説明してしまいますね。

そもそも国家というのは、暴力の独占によって成り立っています。警察とか軍とかですね。

国が暴力を元に、『~~したら逮捕』とやるから、法律ができるわけです。

国はむかしはこれを使って、直接的に商品貨幣を集めるやり方で、税を集めていました。

例えば、『金銀や、米や、塩や、労働力をよこせ、さもないと逮捕する』のような形で、直接商品を集めていたんです。

でもある時から、貨幣のあり方は変わりました。

『この『円』って書いた紙を、毎年国に払え、さもないと逮捕する』という形に税が変わったんです。これはいわゆる債券として説。

例えば僕が書いた肩たたき券は債券です。
債券は債権を書類化したものです。

肩たたき券の発行のときは、
債務『肩たたき券を持つ人に、肩たたきをする義務』
債権『肩たたきしてもらえる権利』
債券『債権の証明書。僕のところに持ってくれば、肩たきしてもらえる券』

ということです。

これと日本円は同じです。

一万円札は、

(国の)債務『円を税として受け取ったら、逮捕しない義務』債権『逮捕しないでもらえる権利』1万円札=『国に払えば、脱税で逮捕されない券』

ということになります。日本人からすれば、逮捕されたくないので、1万円は、税を払うために価値を持ちます。

つまり、1万円札を作るたび、国には債務が生じるので、通貨発行するたびに、国の債務は増えます。この債務は、国家の暴力の独占に基づいているので、債務不履行になるわけがありません。でも、世の中では債務と借金の区別がつかない人が多いため、『日本の借金はやばい』と表現されてしまいます。

中央銀行の独立性もあるせいで、よりややこしくなってますが、国債とかの話はこれでも見てください。

とにかく、自分の国の通貨は、債務不履行になりません。

もっとわかりやすい例を出します。

無人島が100人たったら

無人島に100人で漂着したのを想像してください。

100人に孫悟空が混じっていて、『おめえら、オラの名刺を、税として毎年10枚オラに渡さねえと、ぶっ殺●ぞ』と言われたら、名刺は価値をもちます。

悟空は強くて暴力の独占状態なので、逆らえません。

『オラの名刺を出せ。税はらえ』と言われても、最初はだれも名刺を持っていないと思います。

悟空に名刺を発行してもらうのが先です。

だから悟空は名刺を自分で発行します。そして
『オラの名刺と、お前が獲った魚、交換してくれる?』
『だれかここにダム作ってくれたら、オラの名刺やるよ』
と言ったりして、名刺を配ります。

これが政策です。
悟空は名刺を税で集めて、政策をしていません。

あくまで税は、悟空の名刺に価値を持たせる手段です。

このような感じです。現実の日本も、本来は、税で運営されているわけではありません。国の債務が1000兆円とか超えてるのも当たり前です。というか、それが税で運営されるわけじゃない証拠ですね。

金本位制の時代の 円 は信用貨幣(債券)でしたが、

『税で払えば逮捕されない券』でもあり、『金と交換できる券』でもあったせいで、ややこしくなってしまっていました。

2個も使い道はいらないので、『金と交換できる券』要素はなくなり、現在の形になりました。

このあたりで、主流派だった経済学が、税を財源としてとらえ、国の通貨を商品貨幣のように有限なものとしてとらえてしまったのが、

現在こんな混乱してる原因です。
『いや違うっしょ』とずっと言っていた経済学者もいたのに、商品貨幣形式のほうが想像しやすいのもあって、

そっちで政治が行われるようになってしまいました。

結果として、税が財源だと思われてしまい、

『税をたくさん集めている人が偉い』
『お金を稼げない、納税できないやつは救われなくてもいい』
『年収600万以下はお荷物』
『弱者を救う財源がない』

といった誤解が広まり、弱者を救う制度がちゃんと設定されなくなってしまいます。これが今です。

年収600万以下がお荷物なんて大間違いです。お金はあくまで、価値を媒介する便利アイテムです。悟空の名刺がたくさんあっても、人はおなか一杯にはなりません。

年収600万以下がみんな仕事をやめたら、日本の物理的な食料・モノ・サービスの量が激減し、日本人の生活水準は驚異的に下がり、食料不足で餓死者がたくさん出るはずです。

逆に、今この瞬間に日本円がすべて消えても、日本にある車の数も、食料の量も、人の数も、建物も、みんなが持つ生産技術も、何も変わりません。

大混乱はおきるでしょうが、またすぐ新しい『新日本円』のような通貨を発行して再スタートできれば、物資は足りているので餓死者はでません。

ただ貧富の差がリセットされるだけです。日本円はあくまで、価値を媒介するために国が価値をもたせた便利な紙切れに過ぎないため、『税で紙切れをたくさん払う人がいないと国が成り立たない』などありえないのです。

国に不可欠なのは、みんなが生きるための食料・モノ・サービスを物理的に生み出しているエッセンシャルワーカーたちです。無いと死ぬからです。』。

♦️ムギタローさんの出版予定の本はコチラ⬇️♦️

今日は以上です。
最後まで読んで頂き有難う御座いました。

今後とも宜しくお願いします。

#無敵の人

#経済学

#凶悪事件

#通り魔

#犯罪心理学と経済学

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?