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主観的・個人的なことは大事、しかし絶対視してはいけない

絶対の答えのない時代ですから。「主観的な体験・気づき」「客観的な事実」の両面を大事にしていきましょう。

コーチングで取り扱うのは、自分の考え方や見方、感情といったものです。これは、「客観的な事実」よりも、主観的な体験・気づきにあたるもので、「腹落ち」感や実感といったものをもって「自分」という個性に出会うことを促してくれます。

「主観」がないがしろにされがちな現在

日常生活の中で、自分の考えや感情(主観的なもの)を率直に表明したりすることは意外なほど少ないものです。それは、学校や会社といった組織の中にいれば、その組織の規範があるため、それに沿った行動が求められるために自然と抑えることを身につけていくからです。

これは家庭も同様でしょう。人間社会で生きていくためには、そういった規範を学習して、自分の考えや感情を抑える、という力を養う必要はあります。

ただし、そればかりになると「あれ、組織人としての自分はいるけど、本当に私がしたいことってなに?」みたいなことが起こりうるのです。

そういうことが頻発するので、今の時代に「コーチング」であったり、「キャリア教育」であったり、そういった類のものが求められることになるのでしょう。

そういったものは、皆、「自分とは何か?自分はどうしたいの?」といった主観的なことを扱っています。主観がないがしろにされがちなので、そういったことを考える機会の価値が高まっているように思います。

しかし、「主観」ばかりになるのも危険です。

「主観的な体験」はあくまで「個人の事実」・・・価値について

自分にとっての納得や気づきというのは、あくまで自分という個人にとってのものです。自分にとっては、非常に重大な体験や気づきであっても、他者から見れば、本当にとるに足らないことであったりするのです。

それであっても、本当に自分が価値を感じているならば良いのですが、「主観的な体験」に偏りすぎて、そればかりに価値を感じて傾倒するのは危険なことです。

「主観的な体験」には、説明責任が及びません。自分が感じればそれが主観的な事実です。そこに他者の悪意が入り込めば、勘違いが生まれます。

例えば、本当に自分が「主観的」と思っていても、実は他者からその考え方や見方の操作・洗脳を受けているということも考えられるのです。(世の中、そんな例で溢れているともいえそうです)

大事なのは主観的な感じ方と客観的な事実のバランスです。主観的な体験から、自分のことに気づくことと同時に、周囲の見方や考え方、客観的な事実といった感覚も持つことで「本当にそうなのかな?」といった検証の視点も持つことが大事です。

絶対の答えのない時代ですから。

「主観的な体験・気づき」と「客観的な事実」の両面から自分を大事にしていきましょう。





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