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虐待者を裁く権利は誰にある!?

コロナの第二波が確実にきていますね...
手洗いうがいを徹底し、できることをやるしかないですね。

先日、ネグレクトによって虐待死してしまった事件がありました。シングルマザーの方が交際者のところへ行き、子どもを8日間放置してしまった事件です。

この事件に対し多くの反応がありましたよね。それに対し「せやろがいおじさん」の動画があり、そこにもたくさんのコメントがあったようです。

https://www.youtube.com/watch?v=5cLJs36b-os

この動画を観ながら、いろいろ考えを巡らせました。もちろん答えはでません。
自分はどんな姿勢で虐待問題に向き合っているだろうかと。

ここ最近、「毒親」という言葉が頻繁に出るようになり、虐待者を毒親として当事者の方が発信したりするものをよく目にします。
あくまで個人的な意見ですが、当事者の人たちにとって毒親などの言葉を使い虐待者を否定するのは良い気がしています。
幸せな家族像が蔓延している中で外に出せなかった感情であり、それにより、適切な距離を取れなかった。こうして親であっても距離をとる術をもつことで生き抜いていけることはある気がしています。

では、当事者以外の人はどうしたら良いのでしょう。
もちろん虐待者を許せない気持ちを持っても良いと思います。ただそこで否定し裁くような権利は無い気がしますし、そういった発言が何を生み出すのか考えるべきだと思います。少なくとも良い変化を生み出すことはできない気がします。強いて言えば自分はそんな人間では無いという根拠の無い安心感を得るくらいでしょうか。

当事者の方々が虐待者との距離を作るための否定などは認めていく必要はあると思う。
そして、当事者では無い人は、虐待死が引き起こされる背景、虐待者を裁く意見がもたらすもの、虐待問題予防になにができるかを考えていく必要がありそうです。

虐待者を裁くことによって、より孤立するのは虐待者だけでなく、全員だと思います。完璧な子育てなどどんな人でも難しいです。うまくいかないとき、怒ってしまう自分に苦しくなるとき、なんで自分だけこんなに頑張ってるんだってなるとき、たくさん思い悩みます。そんな時に「助けて」と言える人が一番強い人です。思い悩んでる人たちに「手伝おうか」と言える人が増えて欲しいです。

虐待者を裁く社会で自己責任が蔓延していればそんな雰囲気などできるはずもなく、むしろ孤立していくのです。子育てを考えれば虐待者を裁くことなどできず、どうしたら子育ての環境を整えるかの議論になると思います!

こういった事件からどう考えるか、まだまだ私も考えを深めていきます!

まだまだ初心者ですが、福祉が限られた対象のものではなく、人々がより豊かになるためのものであることを発信していきます。よかったらサポートよろしくお願いしますm(__)m