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レーモンド自邸の再現

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フランク・ロイド・ライトに師事し、帝国ホテルの建設にも関わり、日本に多くのモダニズム建築を残したことで知られるアントニン・レーモンド
その自邸は東京・麻布の笄町(こうがいちょう)にありましたが、レーモンドの没後、事務所移転とともに取り壊されてしまいました。しかし、その自邸をレーモンドに依頼して再現した人物がいます。その人物と再現した建築についてまとめます。

旧井上房一郎邸

レーモンド邸を再現した人物。それは、井上房一郎です。井上房一郎はレーモンドの許可を得て、自身の会社である「井上工業」の大工に実測させ、それを元に地元である群馬県高崎に自邸として事務所兼自宅を新築しました。それを旧井上房一郎邸といって、今でも高崎駅のすぐそばで見ることができます。

井上房一郎とは

井上房一郎は群馬県高崎市出身の実業家です。ブルーノ・タウトの招聘や地元での交響楽団の創設など多くの文化的活動で知られています。早稲田大学に入学し、山本鼎(やまもとかなえ)らの自由画運動等に参加。そういった文化活動に没頭し、早稲田大学を中退。1920年代には高崎の民芸品を販売する店「ミラテス」を西銀座で始め、その店に通っていたアントニン・レーモンドと親友になったといいます。

レーモンドスタイルとは

親友になったレーモンドの自邸が東京・麻布の笄町に完成し、お招きされた井上房一郎はすっかり魅了されたといいます。そのレーモンドの作る建築はレーモンドスタイルと呼ばれますが、具体的にはどんなことを言うのでしょう。

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まず、レーモンドスタイルが生まれたきっかけは戦後の資材不足でした。コンクリートや製材が不足、建築には簡易さと経済性が求められていました。そこで、現場で用いた杉の足場丸太を使用し、柱や登り梁を二つ割りの丸太で挟み込む「鋏状トラス」が生まれます。その他にも、杉材縦板張りの外装(水切れがいいというメリット)、軽い鉄板屋根(地震対策)、深い軒(夏は涼しく、冬は暖かい)、無地のベニヤ板に真鍮の釘打ちの内壁、引き違いの襖による間仕切り、芯外しの手法(それによって南側に広い間口部ができた)などなどこれらの要素をして、レーモンド・スタイルといいます。

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これらの要素は日本の気候や風土に合わせて創意工夫した(しかも戦後の物資不足による中で)結果であり、チェコで生まれたレーモンドが日本に滞在したことで生まれた化学反応的なものではないかと思います。

ノエミ・レーモンドによる家具デザイン

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家具は、Yチェアなど井上房一郎が購入した既製品もありますが、アントニン・レーモンドの妻であるノエミ・レーモンドがデザインした家具も見どころ。テキスタイルなんかも可愛らしさと落ち着きが両立されていて見事だった。

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パブリックスペースとプライベートスペース

この建築はパティオと呼ばれる空間を境目にパブリックスペースとプライベートスペースが区切られています。来客も多かったらしく、当時の生活スタイルを想像しながら空間を眺めるのも良いですね。

まとめ

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都心から2時間もかからずに見に行ける旧井上房一郎邸。アントニン・レーモンドによるレーモンド・スタイルを見ることができ、生粋の文化人である井上房一郎がどういう空間で暮らしていたのか、そして私達はそこからどういうインスピレーションを受けることができるのか。今回は冬に訪れましたが、桜の時期や紅葉、夕方など光を意識して訪ねるのも粋でしょうね。今回は見落としてしまいましたが、金具や石などにも注目すると可愛い出会いが待っているかもしれません。また、近くにはブルーノ・タウトが滞在した達磨寺もあるので、行ってみるのも良いかと。

ちなみに

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去年リリースされた無印の平家。
横からの眺め(横からの写真がなくて申し訳ないんですが)は旧井上房一郎邸とそっくりなんです。開口部や縦張りの外装からしてコンセプトなどもそっくりなんじゃないかなあ。

旧井上房一郎邸
〒370-0849
群馬県高崎市八島町82−1 旧井上房一郎邸
(高崎市美術館の中にあります。)
TEL:027-324-6125

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