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老犬

絵を描く

 30歳を目前になって絵を描いている。それは緻密なものではなく、自分の腕の勢いに任せた脳を使わない絵である。

 昨日はちょうどお昼くらいに散歩に出た。天気予報士的に言うと、ここのところ天気がグズついていたのだが、この日は晴れ間が見えていた。いつものパン屋に向かう丘の上の細い道。ラジオを聞きながら歩いていると、ドクダミが咲いていた。ドクダミは群れていたが、茶色く錆びたコンクリートブロックをつたって咲いていた。一つのドクダミに目がいった。力強く咲いている。それに気づいた私はiPhoneを片手に撮る。iPhoneのカメラロールは私の脳になっている。

 散歩から帰ってきて、昼食に買ってきたパンを食べた。フォカッチャ、緑茶餡パン、プレッツェル。そうしたらやることがなくなった。ああ暇だなと思って、絵でも描くかとなった。自分で作ったインクを取り出して、水彩画用の筆を引き出しから取り出す。インクと筆を目の前にすると何を描いていいかわからなくなる。手を動かそうとしても脳で考えてしまっている。そこでiPhoneのカメラロール(私の第二の脳)を見るとドクダミのことを思い出した。描いてみる。紙はなんだっていい。古い黄ばんだキッチンペーパーが目についたのでそこに描いてみる。手は自然に動き出し、葉の輪郭を鉛筆が描く。迷いないことが線に現れる。花と葉を1つ描いた。何か足りなかった。キッチンペーパーをテキスタイルのように次々と花を描いていった。そうするとリズムが生まれひとつのまとまりとなって紙を構成した。

ブラックコーヒー

 ブラックコーヒーを飲むと身体がほぐれていくあの感じはなんなんだろう。身体は確実にブラックコーヒーを求めていて、ブラックコーヒーは確実にそれに応えてくれる。ブラックコーヒーを飲む前の身体は、重力を確実に感じていて、肩に荷が乗っているような感覚がある。ただ、それを飲むと重力が軽く感じ、肩の荷が降りるようであるから不思議である。思うに私は肩の荷が重い人生なんだろうなと思う。中学生の体育祭の練習を校庭でしていたときのこと。全員が整列していたんだけど、私はなぜかガチガチに固まっていた。その時はいじめにあっていて、学校に行っても良いことなんてひとつもなかった。集団を見ると怯えた。それを察した女性の年老いた先生は肩をぽんとたたき、リラックスさせてくれた。なんか安心した。見てくれている人がいるんだなという感じがした。その肩のぽんという感じは、ブラックコーヒーというスイッチに変わって今の私をリラックスさせてくれる。

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