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【開催報告】テーマトーク「同性婚」(2020.05.29)

ごきげんよう♡学生スタッフのしゅんDです!

私もひっそり参加していた5月29日に開催されたテーマトーク「同性婚」の開催報告をします!


GSセンターの中でも同性婚に強い関心がある学生スタッフが企画したこちらのテーマトークは、学内外から12名の参加がありました!学生スタッフから日本の「同性婚」についての簡単な説明のあと、グループに分かれてディスカッション、そして全体での共有という流れでイベントは進みました。

今日は、参加できなかったみなさんにも少しだけイベントの様子(+しゅんDの視点?)をお届けします!


同性婚の象徴的な意味

議論のなかで印象的だったのが、同性婚の持つポジティブな意味、象徴的意味について強調する参加者さんの意見でした。

同性婚が法的に可能になれば、法的な効果を得られるだけでなく、社会的な「承認」の証になる、「”いない”ということにされない」という意見がありました。

もちろん結婚制度に包摂されることだけが「承認」ではないことを前提とした上で、国の公的な制度として同性間のパートナーシップが認められることの意味は大きいと考えられます。たとえば、志田陽子は「ある制度があるアイデンティティを持つ者に対して門戸を閉ざしていることのメッセージ性について考える必要がある」とし、結婚制度を異性間のパートナーシップ以外にも開いていかないという事実が、その者の存在価値を低落させるメッセージとなりうることを指摘しています。(志田陽子「LGBTと自律・平等・尊厳―なぜ憲法問題なのか」法学セミナーNo.753、2017年 p.60)

人が自分の人生について主体的に選択を行い、自分こそが自分の人生の主役なんだ!自分の人生の物語の作者である!と思うためには、自尊感情が必要です。自分は社会の中で尊重されるに値する人間だ、という感覚がなければ、何か不法な行為に巻き込まれ自分の権利が侵害されたとしても「侵害された」とは主張できない気持ちになってしまうかもしれません。

セクシュアル・マイノリティのアイデンティティは、単にニュートラルな意味での「自己認識」に留まることなく、社会からかつて押し付けられた悪いラベル(治療が必要など)を剥がし、獲得したものです。セクシュアル・マイノリティのアイデンティティは「自分の幸せを自分で選択し、パートナーと仲良く暮らす」という私的領域の事柄について自尊感情を持って決定できることを望むだけではなく、公に対してまさしく自分たちが「ここにいること」を承認するように国家に求める平等の主張とも接続可能性があります。

「同性婚」が単に法的な利益の獲得にとどまらず、負のラベルから解放され自ら選んだアイデンティティを国家が承認する運動の一側面であるとすれば、その象徴的な意味は図り知れないでしょう。参加者の議論を聞いていてそんなことを考えました。



生産性がない??

議論の中で、杉田水脈議員の「LGBTは子供を産まないから生産性がない」といった発言に触れるかたもいらっしゃいました。(絶対に忘れないぞというしゅんDの鋭い眼差し)

実際に子供を育てている当事者の方がいらっしゃることや、養子縁組などの手段についても言及がありましたが、力強かったのは「人間は生産を求めて生きているわけではない!」という声です。

私もそう思います。ましていわんや権利は何かを生産したことの「恩恵」ではないのです。自分で自分の人生を選択していくために必要な自尊・自律・尊厳は、「生産性」によって図られるようなものではなく、それそのもので価値があるはずです。そして「同性婚」をそうした価値の回復に根差すものであると考えるなら、「生産性」の話はお門違いも甚だしいのではないでしょうか。



「反対する理由は何もない。」

このイベントの中で「反対する理由は何もない」という言葉が出たことを覚えています。それに釣られるように、アメリカで全米レベルでの同性婚を合法化することになった判決は、ひとつひとつ保守派が提示する理由を検討して、「反対する理由は何もない」としたものであったことを共有してくださる参加者もいました。

伝統的な保守派の価値観には必ずしも根拠がないし、同性婚の議論には結婚をすることを予定している/いつかしたいと考えている当事者に限らず象徴的な意味があるのだから、同性婚に反対する理由は何もない、と言えるのかもしれません。


ただし、「同性婚」という法制度について検討をする以上は、制度はなんらかの「条件」を設定し、それを満たす者にのみ効果を与えます。ということは、その「条件」を満たさない周縁化される人も必ず出てきます。そもそも承認だけでは不十分で、再分配について議論すること、結婚制度について考えつづけること、外国籍のパートナーとの関係を考える上でも特別在留許可が人種差別的に運用されていること、などなど。この60分のイベントでは、決して語り切れない広がりが周縁化されてしまうことに危機感を持ち、意識し続けながら、社会を変えるために前に進んでいかざるを得ないというのが正直なところではないでしょうか。



最後に:スタッフ後記

このイベントは、実は最後まで「同性婚」に関するスライドに、どの情報を含めるか議論をしていました。学生スタッフがGSセンターのスタッフとしてイベントを企画・開催をする際、いつも悩みは尽きません、それでも何かを選び、手を動かし、イベントを開き、議論をしていく。賛成!の大声をあげて、進めて、小さな社会運動を巻き起こしていく。

学生スタッフとしては、悩みながらも、こうしたイベントや社会運動を「やらないなんて選択肢はない!」と「やっていく難しさ」に触れ、イベント実施報告とさせていただきました。



PRIDEの象徴ことレインボー。本当の虹を見上げれば、そこには青と藍と紫のボーダーラインを見極めることはできません。それを製品化して、6色に分かれた虹色の旗を振り、街を行進することでヘテローノーマティブな空間を攪拌する。目の前に「現れる」。あ~パレードを続けることは、なんて難しいのだろう、と思いながら、また次の企画を考えております......。


しゅんD