見出し画像

~8歳で経験した小児がん~ 笑う門には福来る!私もお医者さんもいつも笑っていた

私は小学2年生が終わるころ、8歳の時に“骨肉腫”になって、抗がん剤とか手術で2年間治療しました。今は小学校に通いながら病気で感じた、みんなの理解が大切だと思って「がんについて」知ってもらう活動もしています。

骨にできるがん“骨肉腫”

本人:“骨肉腫”って骨にできるがんで、私ぐらいの年齢の人がよくなるみたいです。最初は全然痛くなかった。ちょっと運動したら痛いぐらいだったけど、ひどくなってからは、もうずっと痛い。ずっーと痛い。

お母さんは、病気に気づいたときのことを覚えていますか?
お母さん:小学2年生の終わりぐらいのある日、学校から帰ってきたら、「足が痛い。体育でちょっとひねったかもしれないから、保健室でシップを貼ってもらったんだ」って。確かにちょっと腫れていたんですよ。私は捻挫かなって思って、「きっともう2週間ぐらいすると良くなるよ」って結構軽く思っていて、そのまましばらく普通に生活していたんです。

治療に繋がったキッカケがあったのですか?
お母さん:小学2年生の最後の参観日でダンスの発表をやっていた時に、後ろから見てて、左足首が明らかに腫れてるってのが分かったんです。本人は「大丈夫、平気」って言うけど、明らかにも痛い方の足をかばって踊ってて。もうこれダメかも!と思ってその日すぐに、病院行きました。

いつもいってる病院に行ったら「熱を持ってるからちゃんと調べてもらった方がいいです」って言われて、もう夕方だったんですけど、その時間でもレントゲンとか撮れるところを慌てて調べてもらって行って。そうしたら、「ここではこれ以上ちゃんと見てあげられないけど、おそらく“がん”じゃないか」って言われました。すぐ紹介状を書いて、専門の先生の予約も入れてもらいました。

専門医の受診後は、すぐに確定診断が出たのですか?
お母さん:診察に行ったらその先生、「すぐにいろんなことを調べて、早く治療を始めた方がいい」って。結構忙しかったみたいですけど、緊急で予約を入れてくれて、今日できる検査全部しましょう、みたいな感じで進んで行きました。一旦帰って入院して。2日後には病理検査をして…トントンと進んで行きました。

治療を受けるのは娘だから、本人がちゃんと知るべきだと思った

お母さん:私が娘に説明してほしいってお医者さんに言って。やっぱり治療を受けるのは私じゃなくて娘なので、なんだか分からないまま辛い思いをさせるのは嫌だなと思って。いずれ本人も、なんで?ってなっちゃうから。「できればお医者さんから分かりやすいように説明してもらえないですか?」と相談しました。

どんな風に病気のことを聞いたのか覚えてますか?

本人:その時のことは、ちょっとだけ覚えてるかな。聞いて何かを思った記憶はなくて「へーそうなんだ」みたいな感じだったかな。

1番辛かったのは抗がん剤治療 何もかもが嫌になっていた

本人:入院中で1番嫌だったのは、抗がん剤。気持ち悪くなったり髪の毛が抜けたりしたのもあるけど、それよりも、お腹が痛いし、頭も痛いし、食欲がないから喉が渇いてもわざわざ起き上がって水を飲むのもめんどくさくなっちゃったりとか。トイレも行きたいけど、なんだかだるくて。歩くのも起き上がるのも、何もかも嫌だってなっちゃったのが辛かったかな。ずーっと寝てた。頭が重くてずっとゴロゴロしてた。

抗がん剤治療は何回したか覚えてますか?
本人:何回だろう…?

お母さん:手術するまで7回。半年間やって手術して、落ち着いたらまた同じ回数抗がん剤をやる、という流れでした。

本人:抗がん剤をやってる時も頭痛かったけど、終わった後もまだちょっと体の中に抗がん剤が残ってたから、時々頭が痛くなったりしてた。

抗がん剤の影響で髪が抜け体重も落ちている

足を13センチ切除する大手術

本人:麻酔から冷めた時、金具が骨を貫通してるからすごい痛かった。痛みが落ち着いてからリハビリが始まった。手術の後、先生が大きな器具を足につけるって教えてくれた。実際に着けたら1キロぐらいあったかな?それを左足の悪かった部分に着けて、1日に1ミリずつ、骨を伸ばして行った。歩くのも大変だった。
 
お母さん:足首の悪い部分を13センチ切ってるので、左足が13センチ短いんですよね。それを右足と同じようにするために、骨を伸ばしてくっていう器具を着けていたんです。

治療に専念して学校に行けなかった2年間

お母さん:学校には2年間行ってなかったです。入院して抗がん剤受けて、家で2週間おとなしく過ごして、また抗がん剤して…の繰り返しでした。手術して大きい器具がついてたので、学校での生活ができなくて、家か病院でちょこっとしか勉強できない2年間でした。
 
本人:ダンスの発表の翌日から、急に学校を休むようになったから、友達はなんだかよく分かってなかったと思う。でも学校の先生が分かりやすく説明してくれたみたいで、4年生の3学期から学校に戻った時はみんな、大してなんでなんで?とはなってなかった。久しぶりに教室に入った時、拍手されて、それが恥ずかしかった。

勉強はどうしてたのですか?
本人:勉強はお父さんが教えてくれてたから、困ったりすることもあったけど、なんとか他の人の助けを借りて頑張ってた。
 
お母さん:小っちゃかったからよかったのかなって思ったりもします。小学生だったらまだ何とでもなるというか、学校に行かなくても、とりあえず国語と算数だけやらせておけばと思ってたけど、これが中学とかで2年間学校に行けないってなると、もう1年やんなきゃいけなくなったり。高校だと留年するし。ちょうどコロナもあって、外部の先生を入れて教えるのこともできないタイミングだったので、そういう場合に対するサポートがあれば助かるなって感じました。

治療・手術・リハビリを頑張れた理由

本人:1つは将来の夢があるから。将来は獣医さんとか裁判官とかになりたいと思ってるんだけど、それを考えるとモチベーションも上がると思う。2つ目は 学校にもう1回行きたかったから。未来のことを考えると、頑張らなきゃって。お医者さんが誕生日とかバレンタインとかによくチョコをくれたことも、甘いもの大好きだから嬉しかった。

みんなに正しく知ってもらいたいし、共感してくれたら嬉しい

本人:5年生の時、学校で“がん教育”をやったのがキッカケで、それから「小児がんについて」知ってもらう活動をやってます。

小児がんは、身近な人ももしかしたらなるかもしれない病気だから、みんなに正しく知ってもらえるといいなって。こういう治療をするとか、その治療がどんな感じかとか、あとは治療を受けた時に感じたこととか。共感してくれたら嬉しいかな。
 
例えばクラスのみんなが、手紙をよく書いてくれたり、千羽鶴折ってくれたりとかしたのが嬉しかったし、勇気が出たりする。そういう意味でも知ってもらえたら嬉しい。
 
友達とか家族とかは、病気と闘う上で大切だと思った。(入院していた時は)お母さんが一緒に泊まって、午後はお父さんみたいな感じで入れ替わりでいてくれたから、1人じゃなかった。一緒にいてくれたから頑張れたと思う。

お友達の反応はどうですか?
「物知りだね」とか言ってくれるけど、普通にしてもらえた方が嬉しい。歩く時に足引きずってるから「なんで?」って聞かれた時、昔は自分でもよくわかってなかったから説明が難しかったけど、今はよく知ってて分かりやすく説明できるから、みんな「へー!」って。そういう風にできるようになったのは、5年生ぐらいからかな。

これから伝えていきたいこと

座右の銘って言うのかな。治療してた時によくお医者さんに言われてたのが、『笑う門には福来る』っていう言葉。だから病室で、ずっとニコニコしてた。『笑顔が1番の薬』っていう言葉もあったりするから、いま治療してる人たちにも、笑ってってほしいなってことを伝えたいです。病院の先生もずっとニコニコしてた。明るい先生って元気をもらえるし、みんなに笑っていてほしい。

~ゴールドリボンウオーキングは2007年東京からスタートした小児がんの子どもたちとそのご家族を応援するチャリティイベントです~


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?