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香港が香港じゃなくなる

一昨日、香港安全維持法が施行された。一国二制度が50年間保証されていたはずの香港は、23年間でその約束を反故にされ、香港の民主化は法の下に押さえつけれた。

初めて香港に行ったのは、1983年。新卒で就職した会社が発行する旅行雑誌の取材だった。転職した次の会社でも、旅行ガイドブックの編集に携わっていたので、20代のころ仕事とプライベートで4回ほど香港を訪れた。
通りにせり出した看板、八角や胡麻油の匂い、おもちゃ箱をひっくり返したような雑然さ、、、街の活気と香港人のパワーに圧倒され、それが磁石のようにわたしを引きつけた。
同じアジア人ということもあるけれど、何度か行くうちに地元の人に道を聞かれるくらいに溶け込んで、すっかり香港ファンになった。香港で知り合った日本人に働き口があるかどうかを尋ねたこともある。ホテルの日本人用ツアーデスクなら紹介できると言われたけど、外国暮らしの一歩を踏み出すことができなかった。

4年前、ハンドメイドイベントに出店する機会に恵まれ、28年ぶりに香港再訪がかなった。
立派な国際空港ができて、街も整備され、洗練された雰囲気になっていた。でも路地に入れば、ぎゅっと圧縮された庶民の暮らしが息づき、濃厚な匂いを放っている。わたしの好きな香港の表情。九龍半島と香港島を結ぶフェリーからの景色も、心地よい海風も昔のまま。
5日ほどの旅だったけど、近いうちに再訪する気がして、日本円で10000円ほどは香港ドルで持ち帰った。

香港にはもう行けないかもしれない。
ニュースを見ながら、そんな思いがよぎった。
中国に飲み込まれてしまった香港は、全体主義の単調な色で塗りつぶされていくだろう。
わたしの好きな香港が消えていく。
香港の林鄭(キャリー・ラム)長官や中国の政府高官がそれぞれ、「歴史的な1日」「香港への誕生プレゼント」などとコメントしているのを見て、この人たちの目に「悪魔」が宿っているような気がした。

香港民主化の先鋒に立って活動していた周庭(アグネス・チョウ)さんが、6月30日に最後のツイートをした。
「本日をもって、政治団体デモシストから脱退致します。これは重く、しかし、もう避けることができない決定です。絶望の中にあっても、いつもお互いのことを想い、私たちはもっと強く生きなければなりません。生きてさえいれば、希望があります」

彼女は若冠23歳の大学生だ。「返還」直前の香港で生まれ、中国でありながら独自の自治が守られていた返還後の香港で学び成長した。一国二制度は、彼女が50歳になるまで保証されるはずだった。

自由意志を封じ込められ、貝のように口を閉ざし殻の中に身を丸めて生きることを強いる社会が、幸せをもたらすわけはない。それでも「生きてさえいれば希望がある」と締めくくったアグネスさんの言葉は力強い。尊い光を放っている。
わたしの心奥にも小さな希望の明かりがともった。
「悪魔」が消える日を待とう。

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