のりっきいの自分史F5:別れ方の一つのカタチ~アメリカでの離婚
この世ではカップルがいるぶんだけ別れ方にもそれぞれのカタチがあると思います
そして国際離婚では自分の生まれた国でするのか、 今、住んでいる外国でするのかで養育権や財産分与などなど、提出する書類も 正式離婚までにかかる時間も費用もそれぞれ違うのです。
アメリカでは各州ごとに条例あるいは法律が異なる。そんな中で、 私が住んでいたニューヨーク州での協議離婚をここでは簡単に書いておこうと思います。
自分でも書類をまとめ、裁判所に離婚申し込みの書類を提出できる。が、これが思うほど右から左へと簡単には行かない。
詳しいことは皆さんがネットなどで調べてくださることを推薦します。
私の場合、 アベノミクスがちょうど始まった頃、2012年に、ジュリーに離婚を申し出て、 2013年に裁判所に書類を提出したものの、 こちらの土地では二度ほど裁判所から書類の不備を言い渡されてすったもんだして、結局は2014年の冬に弁護士を雇うというハメになってしまった。
ご存知のようにアメリカではどんなことでも契約という形のもとに弁護士を雇うというのは当たり前のようになっている。その弁護士のおかげでやっと2016年の2月、私たちはめでたく 正式な協議離婚ができました。
日本における離婚は1回目も2回目もそれなりにお互いの話し合いなど難航して時間はかかったものの、提出書類としては離婚届の一枚で事は足りた。
それに比べてアメリカでは、子供達も成長していて親権など何の問題もないにも関わらず、十数枚にわたる書類が必要であり、自分でやろうとしてもなかなか裁判所からはオッケーが下りないという現実がありました。
こんなことなら最初からお金をケチらずさっさと 弁護士に頼めば良かったと私もジュリーも思ったものです。
スムーズな協議離婚を進めるためにとても大切なことがあることにここでも気づいたのだが、「感情」というものを横に置いて、全てをビジネスライクに進めることが大切だということをつくづく思うわけです。
どんなことをしたかと言うと、チェリーに離婚を申し出た後、共同財産あるいは収入、ローン、 車、全てのものをリストアップして 表にして、彼に見せ、 全て全てヒフティヒフティに分けようと 申し出た。
彼の性格からくるものかもわからないけれど、納得してリストアップするということは納得しやすかったのであろうと思う。
面白いことはジェリーと私が別れようと言ってから離婚を申し出て、正式に離婚が成立するまで、とてもいい友人関係があったということです。