「吉井和哉についての二、三の事柄」・2話目
2.「球根」
重たいメロディと、言葉数の少ない歌詞で彼はこう歌う。
体で体を強く結びました
夜の叫び生命のスタッカート
そこにエロスは感じなかった。
思ったことは、愛の中にしか、いとなみは生まれない、ということ
初めてこの曲を聴いたのは高校2年生の冬。
初めてテレビで放送されたのを、演劇部の大会出場のために宿泊していたホテルの中で観た時だ。
初めてこの曲で、THE YELLOW MONKEYはオリコンチャート1位を獲得した。
今思えば、よく、こんな暗い魂のこもった歌をヒットさせたな、と思う。
それくらいこのバンドは支持されていた。
そして、世間の求めていたものと違う曲を世の中に放り出した。
世間との乖離は、次の週のオリコンチャートに20位くらい近くまで急落したことでも分かる。
吉井和哉自身は、当時プロモーションビデオを一心に任せていた映像監督の高橋栄樹氏に「10年に1度の曲の曲が出来た」と告げ、高橋氏は期待に応えるべく、「10年に1度のビデオを作らなきゃならいんだな」と思わせ、最高のプロモーションビデオが作らせた。
ファンの中では有名なエピソードがある。
98年にスペインを旅行したときの話。
サントトメ教会で見たエル・グレコの「オルガス伯の埋葬」。この絵を見たときに文字通り雷に打たれたように身動きできなくなった、と。
「おばあちゃん子だったんですけど、この絵を見たときにあっもしかして、と思って、そしたらホテルに帰ったら伝言があっておばあちゃんが亡くなったと聞いた」
今にして思えば。
この曲自体も、プロモーションビデオも、まるで世紀末のような世界を予見していたかのように感じる。実際「世界はコナゴナになった」という表現も出てくる。
自粛ムードの真っ只中、ファンクラブ会員限定に自宅録音映像を何曲か、ファン向けにコアな楽曲を配信したのだが1曲目はこの「球根」だった。
世界の終わりを、彼は見ていたのではないのだろうか。
話を俺自身のことに持っていく。
まぐれ当たりのような受験方法で大学受験をこなし、大学に潜り込むことが出来た。
しかし、俺はそこで挫折を味わう。
ひとつは、小中学校以来感じていた精神的不適合に、統合失調症という病気の診断が下されたこと。
もうひとつは、自分の志している「演劇」という表現方法に、自分自身の「何もなさ」を重ねて、それを軸に病んでしまった、ということ。
この頃の記憶によると、あまりTHE YELLOW MONKEY好きは公言していなかったように思う。
少なくとも、当時交際させていただいた女性とのカラオケで歌ったことはない。
聴けば聴くほど、自分の闇が深まっていくような感覚があった。
それでも、このバンドを愛していたし、吉井和哉という表現者がたまらなく好きだった。
自分の中の「挫折」という事実を完全に受け入れるには何年もかかった。
ひょっとしたら、「作家でいたい」「ものを書いていたい」「台本を書きたい」と散々喚き立てているのも、挫折を受け入れられず、どこかにある「いつか」という「希望」にすがっているだけかもしれない。
死ぬか 生きるか それだけのこと
2013年に開催されたライヴ「20th SPECIAL YOSHII KAZUYA SUPER LIVE」で、バンド時代とはまったく違うアレンジを施した「球根」が演奏された。
スパニッシュ・ギタリストの沖仁氏をゲストに迎え、アコースティックギターの調べから始まり、低い地を這うようなオルガンとともにAメロが唄われ、ドラムが入り、徐々に昇華されていき、大きく包み込むストリングスともにサビへ入る。
この映像を観る度に俺はサグラダ・ファミリアを連想する。
The Alan Parsons Projectという音楽プロジェクトが、かつていたのだが、そのまま「Gaudi」というトータルアルバムを作っている。
1曲目のタイトルはもちろん「La Sagrada Familia」だ。
ついに完成を見ることが発表された「永遠に完成しない建造物」についての曲だ。
壮大な曲調の中、「闇は去り待つ時は終わった」と唄われる。
俺にとって、「演劇」という名前の麻薬は、「サグラダ・ファミリア」なのかもしれない、などとも思うことがある。
追いかけても、考え抜いても、真の姿を見せない建造物。
それが「演劇」なのだろう、と。
作品の質や本数、規模などの問題ではない。
書いても書いても、自分の中にある「作りたくて挫折した建造物」に達していない、という想い。
今現在は違うのだけれど。
まだ決行することを断言が出来ないけれど、行おうとしている演劇公演の準備をしている。
「粉々になった」世界の中、当初描いていた絵図面とは違うかもしれないが、俺にとっては小規模で大規模な作品を作ろうとしている。
それが、俺なりの「生命のスタッカート」への答えだと思っている。
「球根」の中で、「この真っ赤な情熱が 二人を染めた」と歌われるメロディがある。
この歌詞は、元々は「この真っ赤な鮮血が 二人を染めた」と作られたそうだ。
血の中に流れる情熱。
人間を、ヒトを、俺を突き動かすものの答え。
それがこの「真っ赤な」存在の本質なのではないだろうか。
吉井和哉という人は「血」というものの存在について、何度も言及し、歌詞に織り交ぜ、歌い上げてきている。
「自分」の中に流れる「血」という生命体。
それが昇華されていく歌がこの「球根」だと思う。
「この世界はコナゴナになった」と彼は唄う。
そしてその後、彼はこう唄い繋ぐ。
「それでも希望の水を僕はまいて」
希望はある。
どんな形をしているかはまだ分からないのだけれど。
俺の「球根」の花は咲かせる。
それが自分の「挫折」という「建造物」の「破壊と構築」だと信じるから。
そのための「球根」は、俺の中に植えられている。
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