本日の読書 #072 「死の儀式」
参考書籍:『人はどう死ぬのか』久坂部羊
第一章 死の実際を見る、心にゆとりを持って より
死の儀式。
センシティブな内容なので取り扱うべきかどうか悩んだが、医療人として全ての人に知っておいてほしい、大切なことでもある。
ただ、苦手な方はこれ以降は読まない方が良いかもしれない。
医師は、患者の死に際に「儀式」を行うことがあるという。
儀式とは、もうすぐ亡くなる、あるいは既に亡くなっている患者に対して、心臓マッサージをしたり、聴診器を当てたりする行為のことだ。
それで患者が息を吹き返すことなどなく、延命されることさえもない。
本書の表現を借りれば、医師による「パフォーマンス」だ。
なぜそのようなことをするのだろうか?
著者によれば「家族に納得してもらうため」だという。
手を尽くしたことが視覚的に分からないと、気持ちに折り合いが付かない場合がある、ということだ。
実は私は、「パフォーマンス」の現場に遭遇したことがある。
といっても、本書で語られているような理由ではなかったが。
薬学生には「病院実習」という実習期間があり、私は県内でも有数の基幹病院に配属された。
そこは救急車が集まってくるような病院で、短期間だが救急集中治療室(EICU)の見学をさせてもらうことができた。
ある日私は、大きく軋むベッドを見た。
軋むというより、跳ねていた。
医師が患者を全力で心臓マッサージし続けていたのだ。
あまりに長いこと続いていたので、引率の病院薬剤師に尋ねた。
「もうずっと心臓マッサージし続けていますね」
先輩は一言で答えた。
「家族が到着するまで続けるからね」
言っている意味が分からなかった。
心臓マッサージは、心臓が動き出すまで続けるものでしょ。
その日の実習が終わったあとに、先輩が教えてくれた。
あの患者は、もう助からなかった。
でも、心臓マッサージをしている間は「生きて」いた。
「死に目に立ち会えなかった」という事実が、家族にとって、どれほど強い後悔と自責を生むことか。
どれほど、前を向いていくことの妨げになるか。
それを知っているから、医師は、患者が助からないことを知っていてもなお、家族が到着するその時まで、全力の心臓マッサージを続けるんだ。
そんなことを教えていただいた。
患者を救け、患者を救けられないときでも、家族を救ける。
尊い職業だと感じる。
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