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仕事のやりがい、モチベーションは必要か?

最近、元部下から「仕事のやる気でないんですよね。モチベーションが上がらなくて」という話を聞いた。

元部下とはある大きいPJを同じ部署で進めていたのだが、コロナの影響でPJ自体が中止になり、元々そのPJの為に設立された部署だったこともあり中止になると仕事がなくなるので私を含め他の部署に異動になった。その部署にはとても出来た上司がいて、私も長年一緒に仕事をしているのだが、いつも学ばせて頂いている。元部下もその上司についていきたい!という想いが強い部下だった。その中で異動になり、その上司から離れることになった。

そういった背景があり、少し話をした際に冒頭の言葉が出てきた。その言葉を聞いた時に違和感があり、何が違和感なのかを考えてみた。

至った答えは「やりがい、モチベーションは与えられるものではなく、自分で生み出していくもの。頑張らない理由にするな。甘えるな。」だった。

まず前提としてやりがいは必須かと問われれば「無くても良いがあった方が良い」というのが私の考えである。ただし、あった方が質の高い仕事が出来ると思っている。

いろんな観点はあるのだが、3つの観点で整理してみたいと思う。

①なぜやりがい、モチベーションが見いだせないのか?

②では個人でそれを維持していくことができるのか

③上司の視点


まず①から。これは「自身のキャリアビジョンが明確ではないから」ではないか。希望しない部署に異動になり腐る気持ちもわかる。ただ会社に属する以上それは致し方ない事。その中で自分のキャリアビジョンと照らし合わせた際に「いま、何ができるのか。」「何をしないといけないのか。」を自分の中で明確にし、それ.のために四の五の言わず行動を起こしていくことが大切なのではないか。少なからず「昇進したい」「給料欲しい」「評価してほしい」のであればこの営みは必要になる。この営みをやらないという選択も当然ある。今のままでプライベートを充実させるという考え。それはそれで優先順位の問題なので良いと思う。ただ評価をされなくても腐るなよ。というトレードオフつきになる。そしてその優先度は会社や上司から決められるものではなく、自身で決めて責任をもって行うべき選択だ。なので甘えるな。という言葉が浮かんだ。

次に②。①が明確になっていたとして、それが個人の努力で維持していくことができるか。それは難しいと思う。第三者の評価が全てだが、少なからず自分の中で頑張った。という実感があるときにそれを評価されないのが続くと、この環境では自分のキャリアビジョンを達成できないのでは?と思うだろう。なので会社や上司がモチベーションを維持できるような仕組みを設ける必要があるのでないか。具体的にはフィードバックをすることだと思う。会社として、ここは評価できるけど、ここは評価することが出来ない。なので今回の評価になっている。ということを短いスパンでフィードバックしていくことが大切なんだろう。そしてそれは個人のキャリアビジョンと照らし合わせたうえでのフィードバックをしていくことが「見てくれている」という安心感にも繋がりモチベーションを維持していく手助けになる。その際にやはり土台になるのは自身のキャリアビジョン。これがないと適切なフィードバックは難しい。

最後に③。私が上司とお話して考えさせられる話があった。”部下は上司に恩返しは出来ない。その恩を他の人や部下に送る「恩送り」が上司への本当の恩返しだ”と。これは考えさせられた。仮に私がいまの部署でだれからも認められる素晴らしい業績を残せた場合、自身の評価もそうだが、育てた上司の評価も上がるだろう。その上司は評価が上がることを期待しているのではなく、自分が面倒見た部下がそう評価されることが純粋に嬉しく、自分は間違っていなかった。という気持ちを持つことが出来るんだろうと。なので、私もその出来た上司の元を離れたとしても、成果を残すためにどうすればいいのか。を常に考え行動していくことが恩返しに繋がると思っている。

冒頭話をした元部下には私の考えはまだ伝えていない。ここで考えを整理してから伝えようと思っており、書いていて私の中ではしくっりきているので話をしてみようと思う。

モチベーション、やりがいを見出すきっかけになることを願って…

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