見出し画像

毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために  ⑥

家族の教育と遺伝


数多の異なる思想や価値観を持つ人間が寄り集まって構成されているのが社会だ。


そんな社会を生き抜いていくために一番最初に出会う「家族」という小さな社会。


家族の理想像は

「社会に出て疲れた自分を癒してくれる安らぎの場所」

「何かあったら自分の羽を休めに帰ってこられる場所」

「何かあった時に助け合えて協力し合える心強い味方」だろう。


残念ながら、毒気の強い家族は家族同士でも争いが絶えない。


そんな場所は安らぎとは正反対の場所だ。


そしてそんな我が子達がボロボロになっていても決して自分の責任とは思わず誰かを責めるのも毒親の特徴だ。



私が心身共に不調をきたした時に、母親は「父親の性格と遺伝と家系のせい」にした。


しかも、きょうだいと一緒になって「自分達は楽天的で明るい性格だから」

だからなんでそんな風になってしまうのか理解できない、とにかく自分達の性格はあなたとは違う、自分の方の家系はそんな人間はいなかった

(だからおかしいんじゃないか)という、病んだ人間が異質で愚か者かのような言葉を吐いていた。


そして驚く事に他人にもそういうような事を話していた。

まるで自分の育て方は間違っていない、自分はちゃんとやってきたのにこんな始末になるなんて「恥」とでもと言わんばかりに。


平気でその子が恥をかいたり侮辱された気になるような事を言ってしまったり、更に落ち込む事を言ってしまうのも毒家族の配慮のないところだ。


しかも不調をきたした一番の原因は家族の強烈な数々の出来事だ。私からしてみたら「父親」より「母親」の方に大きな原因がある。

その自覚がないどころか、他罰的傾向の度が過ぎるのも毒気の強い人の特徴だ。



ちなみに母親はきょうだいそれぞれそういう大変な事があった時に結局誰に対しても似たようなことを言う。


常に「自分には理解できないし、自分の関与が及ばない」ところに「悪因」があるというスタンスだ。


自分ではない方の遺伝や家系のせいにしたり、きょうだい仲が悪ければ「魂」とかのせいにする。


昔からいつも誰かが悪者になるようなやり方をするので、代わる代わる誰かに誰かの愚痴を聞いてもらうのだが、その時々で母自身の心が誰かに逃げられて自分が楽になればいいのだろうと思う。


きょうだい仲が悪くなる原因もそういうところが大いに関係していると思うのだが。


だからその時も、私を意図的に傷つけてやるというよりかは、単に思った事をペラっと話しただけ。そしてそれが噓偽りのない本音。

子供の心を守るより先に自分可愛さや自己保身が勝ってしまうだけ。


だからそれに対して怒ったり感情的に何かを言っても伝わらない。

むしろ「何でそんなに怒るのかが理解できない」「そんなつもりではない」の一点張りで、最終的には逆ギレするか開き直るか、でいつも堂々巡りなのがオチだ。


そして何かあると自分の幼少期に負った傷や芳しくない体調の話などをし「もう先は長くないから」と脅したり「自分も被害者なのだ」と訴えたり、それ以上責められないために同情を誘うやり方をする。


泣きたいのはこちらも同じなのに、幼い子供のように涙を流したり感情剥き出しでこられると、こちらが嫌でも冷静に大人にならざるを得ない。


母親は若干発達障害の疑いもある人だから、その辺の加減が上手くできないことは多少仕方ないと割り切ってはいるが。


それを除いたにしても、親自身の幼少期の生い立ちにも毒気が強いから、そうやって親が抱えている傷をそのまま子供へ受け継いでしまいがちなのだろう。


歳を取っていくらか丸くなってからはよく「子育てに向いていなかった、子育てを失敗した」と言っている。


きっと口には出さなくてもそう感じている人なんて世の中にごまんといるだろうと思う。

誰も完璧な大人ではないまま、いつしか年齢を重ねていく。

子育ては親育てとも言われるように、家族だって一緒に共に成長していくものなのだと思う。


子育ての失敗、成功、なんて何が基準かわからないけれど、少なくともみんな親の教育の影響で苦労が多い人生を歩んでいるとは思う。


それでも「子育ての失敗」は子供に面と向かって言う台詞ではないと思う。



どんなに近い関係だとしても、いつだって本音を伝えることがいいこととは限らない。

時には、優しい嘘でも本音を言わない方が互いの心を守る時もある。

たとえ嘘でもそれは下手な本音を話すよりよっぽど「大切なものを壊さない」事になる。

相手を欺く為や自己保身の嘘は醜いが、思いやりのある嘘は「愛」だろう。





続く





この記事が参加している募集

これからの家族のかたち

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?