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グリーフケアすら出来ないお坊さま、これからも必要ですか?

このお話のポイントは、以下の3つです

グリーフケアをお坊さまが改めて勉強することほど、馬鹿げたことはない

それでも、お坊さまがグリーフケアを学ばれるのは素晴らしいことだし、学びたい方のことを応援したい

そしておそらく、
グリーフケアを理解出来ないお坊さまこの先、お坊さまとして生きていくのが苦しくなると思う

このお坊さまとグリーフケアのお話、昨日今日から言い始めたわけではなく、ここ1、2年ほど言い続けています

それを note に改めて書こうと思ったのは、こちら記事を見かけたことでした

真宗大谷派、通称お東さんが自宗の僧侶の養成課程でグリーフケアを学ぶプログラムを取り入れた、とあります

なんか、いい話・・・ですかね?

わたしはみなさんに、えっ?マジ?!って思って欲しいです

そうなんですよ、お坊様ってグリーフケア、ご遺族への対応やケアについて学ばないんです。日本の仏教て葬式仏教てすよ?。それで日頃から揶揄されているのにですよ?

日本のお坊さまはグリーフケアを学ばないのです。そうしたことに関心のある方は自分から学ぼうとする方々。もしくはその必要性を日頃のご経験や体感から知った方々だと思います

そうでなければ、お坊さまはグリーフケアには興味も関心も無いんですよ。あれだけお葬儀や法事、供養に関わりがあるにも関わらず

そうした流れからしたら、大谷派さんのこの対応は大進歩なんです。その必要性を少なくとも認めた方々がいたのですから。そしてこの学びは必要なことですし

やらないよりやった方が絶対に良いことです

わたしたちがいま、お坊さまを最も身近に感じるのはまだまだお葬式や法事の場です。そしてそこでお坊さまに傷つけられたというお話は、本当にたくさんあります。わたしもある都内の名の知られた寺院で法事に出た際、ご住職さんが法事後、その法事の内容とまったく関係のないイベントの告知をし出したのには

えっ、何このひと?

とビックリしました。そしてその法事が台無しにされたと感じました。そうしたことが本当に沢山起きているんです

一方で、自死・自殺で亡くなったご遺族を前にして、まったく何も出来なかった。声一つ掛けることも無理だった、というお坊さまの話もあります。ご遺族への向き合い方に迷うお坊さまも実は少なくはありません

これらがすべてがグリーフケアを学ぶことで解決される、というわけではありません。ただ知ることで、変えられる部分はあります。言葉遣い一つに気遣いを入れたり。ご遺族を前に掛けてはいけない言葉や、やつてはいけないことが分かってくるようになります。そうした態度、行動の変化は傷つき、悲しみにくれるご遺族にとってはまさにグリーフケアそのものとなるものです

そのきっかけを作られた真宗の方々のご判断は本当に素晴らしいと思います。そして、遅過ぎるほとに遅いと感じました

残念なことにこうした学びを経て巣立ったお坊さまがみなさんの前に現れるのは、まだまだ先のことです。それまでは、こうした学びを得ていないお坊さまとの出会いがみなさんには待っています。そしてその方々が、自主的に、グリーフケアに関心を持ち学びを得ているかは、バクチのような確率です

そうしたお坊さまに出逢わないことを、わたしはただ祈るしかありません。そしてそうしたお坊さまはぜひ今後気づきを得られ。学びを得て欲しいと願っています

グリーフケアも出来ないお坊さまに未来はおそらく無いよ、と思うのは、言い過ぎでしょうか?

デス・カフェ@東京主催。ヒトやペットの区別をしない、死別・喪失のサポート、グリーフケアのお話をしています