ヘリコプターを矢で堕とす

『ランボー:ラスト・ブラッド』が良き映画だったよ、というお話。

※必然的にネタバレを含むので、ネタバレNGのかたは今すぐ戻るボタンを押してね。
※未見だけど、観にいくつもりもないから読んじゃえ、っていう人には強く鑑賞をオススメします。マジで。今ならソーシャルディスタンスでドリンクホルダーの取り合いもなくてなかなかに快適ですよ、映画館。

で、ここから本題。

まずは冒頭のバルボア・プロダクションとミレニアムのロゴから漂い始めるB級のかほりにワクワクさせられて。
序盤はテンガロンハットで農場ライフに完全適合したランボーが描かれるという、圧倒的に王道なセミリタイアヒーロー展開に、まあスタローンも歳とったねーとなり。

あとは、まあトラブった娘さんを救い出すために筋肉無双シーンがあって大団円かなー。
と思っていたら雲行きが怪しくなって。

そして、(さすがにキモのシーンなので細かい描写は省くけど)『ヘリコプターも弓矢で堕とすみんな大好き筋肉無双ヒーローなランボー』は、完膚なきまでに(偶像として)殺されてしまうというね。

…で、『終わらせていいのか』『奴らにも同じ思いをさせてやる』となって、完全に一作目のランボーが戻ってくるわけですよ。

痺れたね。

なにこの長すぎる伏線回収。サブタイトルの『ラスト・ブラッド』が第一作の『ファースト・ブラッド』にかかっているのは知ってたけど、そんなの『とりあえず上手いことサブタイつけてやったぜ(ドヤァ)』くらいのモノだと思うじゃないですか。
社会に適合できない。周囲の人間が自分の気持ちを理解できないことが許せない。相手に自分の気持ちを理解させるための手段として、暴力しか選べない。そんな第一作ランボーの悲哀しかないキャラクターが、ここに来て完全に再現されるなんて。

客観的に見ればおおよその人は彼の行動は間違っていると評価するだろうけれど、本人はそんなことを意に介さない(意に介していたとしても行動には反映できない)、自分の中で信じたヒーロー像を貫いてしまう。(そして無駄に強い)
第一作で提示されたキャラクター像は2020年の今観ても、1ミリも古びちゃいなかったということに、ただただ感銘をうける作品だったのですよ。

というのが言いたくて久しぶりにnoteを書いてみました。というお話。あとは余談など。

クライマックスで選択される武器、(弓矢とマチェーテはさておいて、)クレイモアとかC4とか、オレたちの世代が使い慣れたアイテムのオンパレードなのはニヤけられたねと。
マクミラン大尉の元で作戦行動に勤しんでいた日々を思い出したぜ。

というわけで今日はここまで。
本編前のダブルオーセブンの予告編が、アクションと色気と異国情緒に溢れていて、ああ、こういうのは映画館で観ないとな、って思ったことも書き添えて。
ではでは[著名な映画人っぽいお別れの挨拶を入れてね]。

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