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Mission 8:メンタルをケアの、「外す」とは?

なぜ「外す」は必要なのか。

少し前まで私は、たくさんの人に会うと、夜は必ず一人反省会でいちいち眠れなくなっていました。

基本的に睡眠時間が短いのです。

本を読んだり、楽しいことをして眠れない夜を過ごすのは大好きですなのですが、一人反省会の夜は何とも不毛で不愉快です。

やりすぎたかも。

言い過ぎたかも。

あの時、あの人の表情。傷つけたかも。

嫌われたかも。

言いふらされるかも。

バカだと思われたかも。

性格悪いと思われたかも。

失敗したかも。

人の目がすごく気になるということですね。

他人軸でものを判断しているという言い方もできるかもしれません。

しかしメンタルがしっかりケアされてくると、これが軽くなります。

人にどう思われるか、そこに振り回されなくなるのです。

少しずつですが、人生が楽になっていきます。

個人のリフレクトの存在を認める

人の目が気になるというのは、逆にいうと自分も他人を細かく気にしてジャッジしているということでもあります。

ルール守ってない。

子育てちゃんとしてない。

タバコ吸ってる。

犯罪犯してる。

いちゃついてる。

楽して金稼いでる。

努力しない。

嘘つき。

人を傷つけてる。

不倫してる。

真面目にやらない。

例えばこの中で、そりゃそんなことしてれば批判されるのは当然だ、と思う箇所はありますか?

「みんなそう思っている」「それが常識」

しかし一人一人温めている卵が、すべて同じ種類、とは限りません。

何に自分が反応するのかというのは、生まれてから今まで、自分が何のリフレクトを持っているのかということに起因している、極めて個人的な問題です。

自分はこれをちゃんと守っていきている、頑張ってる、それなのにここを逸脱している人がいるから、腹がたつのです。



私の場合は、外す、とはまず、苦しい部分、不快な部分を認める、感じるところから始めます。

これには実はいろいろなやり方があり、私の選択はその中の一つにすぎません。

私も、現在通っている心理療法士の先生以外の先生のところにあれこれ通ったことがあります。

しかしどんなやり方が自分に合ってるのかというのは、本当にその時の自分次第なのですね。

他の先生がダメだったということではなく、今このタイミングではこのやり方、と思うものを直感で選ぶ。

本当に、世の中にはすごい人がたくさんいるのです。

ですから、かつてお世話になった先生のところにも、また時期が来たら伺おうと思っています。

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さて話を戻すと、人に対して感じていることというのは、認め難いことではありますが、自分に対して感じていることと全くイコールです。

例えば、性別の問題で、宗教などを盾にジェンダーを超える人を過剰に攻撃してしまう人、いますね。

あれは、自分の中にあるジェンダーを越えようとする衝動を押さえつけている、もっと言えば、人より強い自分のジェンダーに対する違和感があるということを意味すると思います。そしてその自分を忌み嫌っている。だからそれをオープンにしてしまった人を見ると、スルーすることも出来るのに怒りが抑えられずに攻撃してしまうのですね。

私の場合は、女性が女性と結婚しても、男性が男性と一緒にいても、全く気になりません。

むしろ、何かを乗り越えて自分を解放し、自由になって幸せを掴んでいった彼らの物語に、憧れを感じます。

それは、私が攻撃している人たちより大人だとか精神的に成熟してるとか、そういうことでは全くありません。

単に私が、ジェンダーに関する傷を持っていないというだけのことです。

不倫がどうしても許せない!という人も同じです。

不倫を許せないと感じるのは、不倫が人を傷つけるからでも、不倫が倫理的に社会的に許しがたいことだからでもありません。

過去に、不倫に関する深い心の傷を負っているからです。

ちなみに私が一番許しがたい!と感じるのは、ルールを守らない、人を傷つける、です。

実はここが、犯罪を犯す人よりも頭にきます。

え?そこ?という人と、まあ、そうだね、という人、両方いると思います。

これが、人をジャッジするのが極めて個人的な感情だという理由です。

外れる、という体感

日頃、同性愛者を思いっきり差別している人が実は自分もお仲間だなんて、、、おそらく簡単に認めるのは難しいでしょう。

多分、面と向かってご本人にこんなことを言ったら、罵倒されるかもしれません。

しかし、メンタルをケアし「外す」とはまさにこのことです。

ここを乗り越えることです。

❶事象、出来事、あるいは相手に対する怒りや恐怖などのネガティブな感情を感じ尽くす。

❷なぜそれが頭にくるのか。自分の何がそれにリフレクトしているのかを分析する。

それは最後には、自分が自分を責めていたというところに行き着きます。

その自分を、そうか、と受け入れる。それでもいいじゃん、と認める。そうだったのか。大変だったね、と労う。

ずっとそんなことで苦しんでたのか、気づいてあげられなくて全然見当違いな方向に暴走ばっかりしてて、ごめん、と仲直りする。

すると、なんか、すーっと。

抜けていきます。

「そこ?」って笑えるようになれば、何なら人に話せちゃうくらいまで来ればもう、本当に解放されて楽になれます。

fotografierendeによるPixabayからの画像

一人反省会の夜が全くなくなったかといえば、そうでもありません。

まだ時々やってしまいます。

でも、メンタルのケアというのは、螺旋状に上がりながらだんだん軽くなっていくものなのだそうです。

つまり、上に上がれば当然、いずれはだんだん落ちてくる。

しかしその落下は、注意してよく感じてみれば、一周前に落ちたところよりも確実に、たとえ数ミリであっても高い位置を通過しています。

またいずれ自然に上昇していく。そして次に上昇した場所は、この前通ったところよりもほんの数ミリでも高い位置を通るはずです。

そこに希望を持って、また前に進んでいきます。


Mission7はこれでおしまいといたします。

今日もお読みいただいてありがとうございました。

grenleeed


- I know you’re scared, but it is not of me.

You’re afraid of the realness. Fearful for the first time in your life of something you can’t walk away from, and that scares the hell out of you.

-JimStorm


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