簡単に物欲を満たせる今、人は「物」に成り下がるかもよ
コラボ記事楽しいから立て付けに。
今回は、文芸サロン『青い傘』メンバーのtakeharaさんと書かせていただきました。
そして、お題はかのこさんより。
この記事はコラボ記事となっております。
あるテーマ/お題に基づき、二人がそれぞれ記事を書いています。
是非、コラボお相手の記事も合わせてお楽しみください。
お題は、かのこさんの記事から拝借して
“いつものやりとり。なんだか似ているのに、私たちは全然違う。
根本的に。物欲の方向性が違うのだ。多分。”
ー 物欲の方向性、https://note.com/cc_kanoko/n/n7d23358e9fae、かのこ
なんだかサロンが急に盛り上がってきて、あたふたと喜びの犬カスです。
物欲というものが、僕にはほとんどない。
6年前に買ったコートをいまだに着ている。
それ以降まともに買っていないからだ。
当然もうすでにヨレヨレ。
店頭でみて、可愛いなこれという物はたくさんある。
ケド、買わない。
お金がない、というよりも、物欲がない。
可愛いけど、買うという行動に到るほどでもない。
食欲というものもほとんどない。
基本的に、夕飯は食べない。(お酒は例外)
一人暮らしだから、もちろん朝なんて食べない。
昼に、ダイエット中のOLくらい食べてそれで1日過ごす。
ポテチも炭酸も買わない。
「必要」以外の買い物は、それ以外の何かを満たすための買い物。
例えば、冷蔵庫が壊れたら、書い直す。これは必要性がある。
しかし、「可愛い帽子」「最新のIpad」「お洒落な家具」は必要とはまた違う。
可愛い帽子を買うのは、「可愛い私」や「お洒落」を買っている。
もっというと、「自己肯定感」や「承認欲求」を買っている。
ほとんどの「お買い物」は、こうした、物質の向こうにある価値や未来像を買っている。
僕の物欲がない理由
そういった意味で、僕は物によって与られる「幸福」にあまり重きをおいていない。
むしろ、小説や本、映画から得られる知識や発見と気付き、居酒屋の会話で得られる楽しさに重きを置いている。
常に、「物」その物より、「内包された価値」を考えて購入するようにしている。
となると、コートに6千円かけるより、本を4冊買う方が、後輩に酒をおごった方が価値があると思ってしまう。
本が売れなくなった理由
も、ここにあると思う。物質としての本に価値はない。ただの紙だ。
本の価値は、主には「内容」にある。
書かれている言葉。情報や物語に価値がある。
本が売れなくなってるは、もちろんネットの影響だ。
YouTube、ツイッター、note。
情報や物語が無料で手に入る。
それも、わざわざ本屋まで行かなくても、その場で調べられる。
今後、「青い傘」で議論したいことではあるが、「本」の価値を再定義しないと、いずれは完全に飲まれると思う。
今、作ろうとしている文芸誌は、そこを考えながら作りたいな。
欲求を簡単に満たしてくれる現在社会とその先
今の日本では、たいていの物は、手の届く価格で買えてしまう。
太宰は青空文庫で読める。
承認欲求の即効薬はインスタでもらえる。
新宿のランドセル”mcmのバッグ”は買えなくても、それと同じくらい可愛いバックは3000円でも買える。
「可愛いはつくれる」じゃなく、「可愛いは買える」。
恋心すら、キャバやホストで買える。
ほとんどの欲がみたされる。
そうして、欲求に対しての努力はどんどん必要なくなっていく。
欲求を与る商品と、与られる人間。
はたして、そこに人間性はあるのだろうか。
資本と商品の家畜と同じではないか。
家畜すら、人間は物のように扱っているじゃないか。
じゃあ、人間は「物」に成り下がるのではないか。
人間が人間であるために
よく、AIの議論になると、
「人間にしかできないこと」
をすることで「人間の価値」が保たれる。
ということを聞くが、必ずしもそうではないと思う。
人間にしかできないことにこだわる必要はない。
自分たちが、「人間としての意味や価値」を定義して認識し、それに向かっていればいいと思う。そして、まだ、時代は「人間としての意味や価値」を問う段階にあると思う。
だからこそ、文学は今の時代にこそ必要なのだと思う。
僕の記事は以上!
takeharaさんの”物欲の方向性”はこちら。
合わせて、お楽しみください。
お題の原案の記事はこちらです。
では!
拙作ではありますが、また書きたいと思います。 サポートしてくれたらヤる気を出すゲンキンな奴ですので、何卒。