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にんげんのめがね。

『100分de名著』という番組をたまに見ています。
名著を読み解いていくNHKの番組です。

録画していた放送分を昨日やっと見て、とても面白いなあと感じました。
今回読み解いていくのは『純粋理性批判』という哲学書。
著者は18世紀、近代哲学を牽引したドイツの哲学者イマヌエル・カント。

テーマは「人は何を知り得るのか?人は何を知り得ないのか?」

番組史上最難関ということで、私には到底理解できそうにありません。笑
でも、解説の先生がとても分かりやすく話されていて興味深かったです。

カントはなぜ「1+1=2」が共通理解として成立するのか?
目の前にある「赤いバラ」は、なぜみんな同じように人間は捉えることができるのか?

というようなことを考え続け、10年かけて『純粋理性批判』を発表したそうです。

ここに至るまでの経緯なんかを最初解説してくれるんですが省きます笑

人間がモノを認識する仕組みとして、
本来ある姿と私たちが認識する姿というのは一致していないものとして話が進んでいきます。(もう挫折しそう)

番組内のトークで、MCである伊集院さんが話していてとても共感したところがありまして。


しゃべった途端から嘘である、と思うことがある。 赤いリンゴという特徴を話せば、本来ある黄色い部分のことを一切話せなくなったりする。 誰かが複雑な表情をしていても、おおむね笑っていれば「笑っていたんだよ」と言った時点でそれは事実じゃない。自分が認めたようにしか結局は話せない。

ああそれはなんとなく分かる気がします。。
ありのままの姿を捉えてそれを相手に伝えるというのは、とても難しいことですよね。

人間の認識能力は二段階構造になっており、感性悟性が結びついたときにのみ認識は生まれるという考え方。

感性とは、感覚器官が刺激されて受け取る情報。(直観)
(※思考が介入していない『ぼんやりとした、名もなきもの』)

悟性とは、物事を判断する能力。「○○は○○である」と直観が捉えたものを思考する力。
(※思考をしたうえで『テーブルの上に飾られた赤いバラ』と認識する)

私たちは生まれもった外すことのできない眼鏡をかけている。
モノそのものを見ているようで、実は人間特有のレンズを通してモノを捉え認識している。
「リンゴ=赤」という認識も人間だけのもの。(猫にはグレーに見えている?)
感覚器官を通して得た情報をもとに、主観としてそれをリンゴと認識しているだけに過ぎない…

という考え方です。
ちょっと私の頭では追いつくの精いっぱいですが、こんなことを言っていました。

この捉え方を聞いて、何か聞いたことあるなあと思って考えてたんですが、般若心経の「空」という思想を思い出しました。

仏教が辿り着いた心理『色即是空』
『色』…この世を作っている物質のすべて
『空』…実体を持っていないもの

この世は「空」である。という仏教の考え方ですよね。
これを昔父から説明されたとき、ちんぷんかんぷんでとても理解できませんでした。
いや今でも理解できてません。
興味深いなとは思いますがそこまでのめりこんで分かろうとも思ってない。。(もうすでにキャパオーバー)

捉え方を考えるときには、同じような思想に行きつくんでしょうか。。

言葉の世界でも似たようなことを考えたことがあります。
何か起きたもののこと、心が動いた気持ちを話したり言葉にするとき、
その言葉となって出た瞬間なんだかそれが本当の想いと一致していないような感覚。
「○○だから好き。」「○○なところに感動した。」など、胸の内を語っても、まだ言葉では表せないものが心の中に漂っているような。

例えば好きな人のことを語るとき、優しいからとか誠実だからという表現にしっくりこないことがある。
そんな言葉では表現できない、そういうんじゃなくて。。情?絆?愛?いやそれもなんか違う。
逆にそれを口にしたことで、自分の想いが何かに加工されていくような、周りが認識できる着色料に染められているような感覚になったことがある。

自分の中にあるその色は、さわやかな青色でも情熱あふれる赤色でも穏やかな淡い緑色でもない。
複雑に混ざり合って、でもとても美しい、私だけが認識している『その人だけの色』だったりする。

自分の想いを伝えるとき、とても難しいと感じるときがあります。
私の語彙力の問題でもあるんですが。

でもやっぱり、それを他人に理解してもらいたい、伝えたいという気持ちも湧き上がってくる。
絶対正解という表現は見つからなくても、なんとか共有したいという気持ちが芽生える。

カントは『人は何を知り得るのか』という人間同士が認識できる領域を明確にしようとしました。
人が一緒に生きていくうえで、とても大きなテーマだなと感じます。

放送は全部で4回なので続きが楽しみです。。

読んでいただき、ありがとうございます。



ここまで読んでいただいたこと、とても嬉しく思います。