本に求めていたこと。
今年ももう1ヵ月ちょっと。
今年は本をたくさん読むぞーと意気込んでいたけれど、結果としてはそんなに多くは読めなかった。
言い訳としては、今年は魅力的なゲームがありすぎて時間があればゲームに没頭、という大人としては公言しづらい理由がある。
でも心に残る本はもちろんいくつかあったので、ここで一旦まとめておく。
ハンチバック
2023年上半期の芥川賞受賞作。
芥川賞については、一応どんな作品がノミネートされているかは毎回チェックしている。
その中で気になるものがあれば積極的に読むようにしてる。
ハンチバックは、まさにこの著者だからこそ紡げる物語だった。
筋疾患の先天性ミオパチーという障害を持った女性が主人公で、著者自身も同じ障害を持っている。
切実に訴えるというより、現状を受け入れつつ淡々と語られる文体がよりリアルで、摩擦なくこちらの心にもスッと入ってきた。
主人公の住むグループホームで働くある男性との関係性が印象的に描かれている。お互い弱者同志として認識している不思議な関係性。
何となく哀れな眼差しを向けながらも、立たされた境遇が離れすぎていないふたりのやりとりは、混じり気がなくて私には新鮮に映った。
紙の本に憎しみを感じるというのは、著者である市川さんも日々感じていることだという。
これを機に、さまざまな分野の書籍の電子化がもっとスピード感を持って進むと良いと思った。
成瀬は天下を取りにいく
爽やかだ。
この本は凄く爽やかな気持ちにさせてくれる。
あらゆる分野に興味を持ちながらも、真っ直ぐにトップを狙う気質を持った主人公の成瀬。周りから見たら変わり者であるものの、決して嫌な気持ちにならない不思議な魅力がある。
出すぎる杭は打たれない。
むしろその特異な行動に目が離せなくなる。
成瀬の行動の展開が読めず、スラスラ読むことができた。
読みやすさはメリットでもあるけど、一度で満足してしまい記憶に残りにくい作用もあると思う。
でもこの本は何度でも味わった感情を噛みしめたい、という気にさせてくれる。
方舟
昨年末から今年にかけてかなり話題になった本。
本屋に立ち寄った人も一度は目にしているはず。
今までミステリーは読んでこなかったし、どんでん返しと聞くと読む気が失せてしまうことがほとんどだったけど、この本はタイトルが気になったので読んでみた。
結果、どんでん返された。
分かっていたのに、、分かってなかった。
これはもう映像化間違いなしだろう。
ミステリーおもろーっ!と、この本きっかけでいろんなミステリー系に少しずつ手を付けるようになった。
純文学寄りの本も魅力的だけど、エンタメ性の高い本は読むモチベーションを作りやすい。おかげさまであれこれ気になる本が増えてしまった。
方舟の著者である夕木春央さんの新作『十戒』も読んだ。
あぁぁエンタメ楽しぃぃ、誰かと語り合いたーいという気持ちでいっぱいになった。
短歌ください
大好きなシリーズ。
『ダ・ヴィンチ』で連載されている短歌投稿コーナーを単行本化されたもので、読者から寄せられた作品を穂村弘さんが選出し紹介してくれている。
今回で書籍化第5弾らしく、やっぱり人気の高さが窺える。
ハードカバーで初めて買った。
その中から私のすきな歌をひとつ。
わわ、分かるー。
好きなものと分類したことで、勝手に自分の中の美味しさ期待値が上がっちゃう感じ。そして好きなものを今から食べるぞ、という余計な力みによって味わいそのものが置き去りになったような感覚。
カテゴライズしたことでいらんフィルターがかかってしまったようなね。
好きなものを誰かに公言するときも似たような気持ちになるなぁ。
○○が好きな私。と自分でカテゴライズしたは良いものの今もブレずにそれ貫けてるか?って聞かれるとブレブレなものめっちゃあると思う。
ちなみに穂村さんの講評にはこう書かれている。
ほむほむ怖いこと言わないでー。
でも確かになぁ。
私たちはそんな小さな呪いみたいなものを胸に抱きながら、日々自分の像を作り上げているのかもしれない。
文藝
今月、文芸誌を人生で初めて買った。
もちろん存在は知っていたけれど、なんだかハードル高く感じてしまって今まで手が出せずにいた。
文芸誌は大きく分けて5つあって、
『文藝』『文學界』『群像』『すばる』『新潮』
がよく知られている。
芥川賞はここからノミネートされることが多い。つまり、純文学系の雑誌。
新人賞である芥川賞の場合は、ノミネートの時点で単行本化されていないことも多いので、その場合は文芸誌で作品を読むことが出来る。
とまぁ、ここまでの知識はあったものの買って読んだことはなかった。
でも読んで見ると、おぉなるほどこんな楽しみ方があるのか!と発見があった。
今回は文藝賞を受賞した作品が掲載されていた。
よって、それにまつわる著者の物書きとしてのスタンスや作品の解釈などが盛り込まれており、本の読み方に幅を持たせられるなと感じた。
また受賞作に対しての選評も書かれているため、プロの作家から見てどんな部分が優れているのかが明確に分かる。
今まで何となく汲み取って終わりだった読後が、いろんな立場の人たちからの視点を得ることで何倍も楽しくなる。
また、作品に対しての変な先入観なしで読めるところも大きい。
単行本となると、作家や好きな系統や前情報をもとに選んでしまう。
それによって手に取る本が限定的になり、過剰な期待感が働いてしまうことも少なくない。
だけど、文芸誌の作品はそれ用の装丁もなければあらすじもない。どんな作家さんなのかも未知数の状態で読むことが出来る。
こういう環境って実はものすごく貴重なのではないかと思う。
今はどんな商品に対しても☆(レビュー)が付くし、コメントの内容やジャケット(見た目)で買う買わないを委ねてしまうことが多い。
情報が多いゆえに、ひとつの作品に触れるまでの選択、判断材料は多岐に渡る。本との物理的な距離は近くなったものの、無自覚な心理的ハードルがいくつも散らばっているように思う。
けれど文芸誌はそういった情報はなしに、タイトルと書き手の名前だけがドンとあり、次の行からはもう物語が始まっている。
このシンプルさが私はすごく新鮮でワクワクした。
✴︎
今回文芸誌に触れて発見したことがある。
私は常々、視点や視座を広げたいという願望があるのだなということ。
視点は何にフォーカスするか。
視座はどの立場からものを見るか。
視野は見える範囲のこと。
視野については、今のところそこまで広げたい願望はない。見え過ぎるってしんどいこともあるから。
むしろ狭くていいのかなとさえ思う。
でも異なる視点や視座は物語を読むことで体験できて、それを実感できたときに私はとても感動する。
こんなことを題材にできるのか、とか、自分とは違う捉え方をしてる、とか。そこに必ずしも共感はなくていい。
「初めて」の感覚を得ることが楽しい。
物語は個人的で限定的であるほど切実さは増すが理解されにくい。そういうときに、視点や視座の違う人の意見を知れると、たちまち回路が開かれたような感覚になる。橋渡し的な。
まだまだ読み込めていないけど、文芸誌だからこその魅力に気づけた気がした。
✴︎
本は娯楽としても読むけど、たまに苦しいときもあるんだよね。
何でこんな気持ちで読んでんだろうってときもある。
挫折したことは数知れず。
でもそういう本にも挑もうとしてしまうのは、
分からないことへの回路を閉ざさない自分でいたいからなんだと思う。
分からないことのなかに、自分と重なる一片を見つけたときの何とも言えない感情を手放したくなくて。
前も同じようなこと書いた気がするけど、
本に求めたいのはやっぱりそこなんだなぁ。