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優しいnoteの付き合い方。

ギャップに弱い。
ギャップを見せられるとかなりグッとくる性質の私はチョロいなと思う。

noteにはたくさんのクリエイターがいて、いろんな記事を見るたびその才能に毎回圧倒されてしまう。
とても為になる情報の記事もあれば、その人しか経験できないような内容で興味をそそられることもある。

個人的には自分語りやネガティブな記事なんかも嫌いじゃない。
むしろよく見る。

そんな記事が割と好きだから、見つけたらひっそりとスキを押す。

コメントしようかな、、と2分くらい悩んでやっぱりせずに去ることもある。(いやしろよ)

そのくらい、記事に対してのリアクションを考えすぎてしまうことがある。

振り返ると、そういうときは大抵時間に余裕のあるときで。
忙しくしているときは、割と何の抵抗もなく記事に対してのリアクションができてしまう。
自分がよくわからん。

そしてそんな中でも、たまに私の記事にお返しでスキをつけてくれる人がいる。

もちろん、どんな気持ちでそうしてくれるのか真意は分からない。

でも、え…そんなことしてくれる人なの?
そんな雰囲気じゃなかったやん…(失礼)

と、そのギャップに少しばかりキュンとくる。
(ありがとうございます。)

コメントを書く人もいれば、書かない人もいる。

コメントをもらうと嬉しいし、思わずメッセージを送りたくなる時は自分もコメントする。

でも、コメントを書かなくても繋がっているな、と勝手に感じている人もいる。

この人はドライだな。とか、温かみのある人だな。とかいろいろと妄想しながら。

そんなことを考える時間も嫌いじゃない。

自分が何者かを明かさずに文章だけを見せ合っている関係を密かに楽しんでいる。

あなたは今日そんなことがあったのね。と他人の日常を垣間見ることができて嬉しい。

そんな気持ちで、いつも見ています。

私は昔から文章を書くのが苦手で、学校の作文なんかでは言葉をひねり出すのにかなり苦労してきた。

気持ちを表現するのが下手で、テーマを設定されても「何が正解か?」ということばかりに気をとられていたように思う。

だから同じく絵も苦手で、正解を追い求めすぎていつも自信なさげな余白だらけの作品が出来上がってしまう。

もちろん賞なんかはかすりもしなかった。

でも、文章はもっと自由で良いんだなと感じることがあって、noteをはじめた。

最初は敬体(です、ます調)か常体(だ、である調)かで悩んだりしたけど、今ではもう統一せず、ごちゃまぜで書いている。

文法もどこかに置いてきた。

今はもう、そのとき自分がしっくりくる感じで。になってしまった。

内省的な部分は常体で、優しく言いたいときは敬体。。みたいな傾向はあるけれど。

今日は気分で常体で書いてみた。
(気分なので明日には変わると思う)

ギャップで思い出したけど、サンボマスターに今更ながらハマりつつある。

あのおじさま方から奏でられる音楽に度々痺れている。

飾らないけどどストレートな歌詞をあのおじさんが熱く叫びながら歌うからいい。
毎度のことながら熱いものが込み上げてくる。

やっぱりギャップなのかな。

誰かへのエールをテーマにした楽曲が数多くある。
きっといろんな人が彼らの曲に励まされてきただろう。

彼らの曲で『花束』という曲がある。

MVの中の人々は
「いま花束をあげたい人は誰ですか?」
という問いに対しての回答をカメラに向ける。

妻へ
お世話になった先生へ
優しい彼へ
未来の自分へ
結婚した兄へ
天国にいる親父へ
今年成人を迎えた妹へ

花束には、
おめでとう
ありがとう
頑張れ
頑張ったね
おつかれさま
好き

などの意味が込められている。

そして映像の中では、花束を受け取った人の表情も出てくる。
それがたまらなくいい。

驚きと同時に笑顔がこぼれる瞬間。

信じてんぜ君を そう昔から気づいてた
あなたは あなたは 花のように咲きほこる人
あなたが花束
あなたが花束


そう、花束はその受け手のリアクションも含めて花束。

私はこのMVを見るたびに、なんだか泣けてしまう。

ああ、人が人を想う瞬間がこんなにもあるのかと。

アップテンポでとっても明るい曲なのに、涙がでそうになる。

王道でも、飾らなくても、想いは届くんだな。と信じたくなる。

心がすさんでいるときもあるけれど、やっぱり文章にも救いが欲しい。

サンボマスターを聞いて、優しい文章が書ける人になりたいと思った。


読んでいただき、ありがとうございます。


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