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歴史家の計算間違い~文系と理系の溝~

0. 序 
 数学嫌い,理系は苦手,よく聞く言葉です.一方で,三度の飯より数学が好きという人も中にはいると思います.さて,古代ギリシャの歴史家ヘロドトスやトゥキュディデス(前5世紀)をご存じでしょうか?二人とも長大な歴史書を後世に残した天才中の天才です.その彼らが,実は数学特に計算が苦手だったのではないか?というお話を紹介することで「数学嫌い」について検討してみたいと思います.

 本稿の歴史家の計算間違いについては,マックス・アスパー著/斎藤憲訳「古代ギリシャ数学の二つの文化」Eleanor Robson ・Jacqueline Stedall 編『Oxford数学史』(共立出版)2014年所収を参考にした.

1. ヘロドトスの場合

 「歴史の父」ヘロドトスから始めましょう.ペルシャ帝国の兵站についての説明を行う部分です.クセルクセス1世のギリシャ遠征軍の数を5,283,220人として,その兵糧が驚くべきことになるということを記述した部分を見てみましょう.


それというのも、私の計算によれば各人が一日に小麦一コイニクスを受給し、その量を超えぬとしても、毎日の消費量は全部で十一万三百四十メディムノスとなる。
ヘロドトス『歴史』松平千秋訳(岩波文庫)1972年,121頁より

と計算したことになります. 1コイニクスは48メディムノスとされていますので,すると,110,067メディムノスとなります.ここでヘロドトスは,5,283,220(人)を 5280,000 と 3,220 に分けてそれぞれを 48 で割ったと考えられます.

どうやら,3220÷48 を間違えしまったようですね.
単位は時代や地域によって異なりますので,これをもってヘロドトスの計算精度を断定することはできませんが,歴史家といえども,計算とは無縁ではなく,しかも少し苦手だったのかもしれません.

2. トゥキュディデスの場合

それではトゥキュディデスの場合はどうでしょう.

 トロイア遠征とペロポネソス戦争の規模について比較した際に,ペロポネソス戦争の方が動員された規模が大きいとするのですが,その計算がおかしいのです.トゥキュディデスは,トロイア遠征では,1,200隻の軍船に50人から120人の乗員を乗せたとしています.すると,

となり,6万人から14万4千人を動員した大戦争となります.ペロポネソス戦争でこれほどの人数が動員されたとは考えにくく,トゥキュディデスが桁を誤って計算したのだと考えるのが自然です.
 他にもトゥキュディデスは次のようなことも言っています,

 シケリア島を周航するには、商船で8日近くかかり、しかもそれほど大きな島でありながら、大陸からは約20スタディオンの海で隔てられているに過ぎない。
トゥキュディデス『歴史〈2〉』(西洋古典叢書)城江良和訳,2003年,90頁より

 すると,トゥキュディデスはシチリア島の大きさ(面積)を外周の長さで測れると考えていることになります.これについては,ローマ人の弁論家であるクインティリアヌス(紀元後1世紀)によって批判されています.


「二つの図形をそれぞれ取り囲む線の長さが等しいならば、これらの線で囲まれた二つの図形の面積もまた等しいことは、必然ではないか」。しかしこれは誤りです。というのも、図形の面積を決定するに最も重要なのは外周の形なのですから。
クインティリアヌス『弁論家の教育〈1〉』(西洋古典叢書) 2005年,122頁より

すこし解説します.


 シチリア島(※シケリア島)は三角形のような形であり,周囲を周航するのに,8日かかるということを知っていたのでしょう.たしかに外周が大きければ大きいほど,面積も大きくなりそうですが,実はそうではありません.


 クインティリアヌスはトゥキュディデスの幾何学についての認識の誤りを痛烈に批判しているのですね.ちなみに三角形の外周(※辺の長さ)をもとに面積を計算するには「ヘロンの公式」を用います.

 これは普通,アレクサンドリアのヘロン(紀元後1世紀頃の人物であるが,異説あり)によって発見されたとされますが,アルキメデス(紀元前3世紀)が発見したという伝承もあります.

3. 計算はやっぱり苦手

 ポリュビオス(前2世紀)という歴史家がいます.彼は,指揮官にとって数学や天文学の知識が大変に重要であることを説いています.そんな彼にも計算間違いがあるのです.

 例えば城壁の高さがある単位で10だとすれば、梯子は12を満たす長さでなければならない。なぜならば、梯子の着地点の城壁からの距離は、梯子を登る兵士たちとの兼ね合いを考えて、梯子の全長の半分にするのが望ましいからである。
ポリュビオス『歴史〈3〉』城江良和 訳 (西洋古典叢書) 2011年,31―32頁より

ポリュビオスは三平方の定理と平方根の計算のことを話しているようです.

 計算結果とポリュビオスのいう 12 は一致しません.ポリュビオスは,開平計算(√ の計算)を誤ったと考えられます.ただし!ポリュビオスの名誉のために言っておきますが,鉛筆と紙で行う開平計算は結構大変ですので,複雑な計算を嫌がり,概算値で済ませたのかもしれません.

4.円周率の計算

 これまでは計算が苦手だったギリシャ人を見てきましたが,反対に得意な人もいました.その代表は円周率(円周と直径の比)を計算したアルキメデスです.アルキメデスは『円の計測』という著作の中で,桁数の多い平方根の計算をやってのけます(電卓でその精度を確認してみてください).

  ポリュビオスの計算と比較すれば,その差は歴然です.計算の得手不得手という「分断」は,古代から連綿と続いていたのです.さらに近年,古代のテクストに残されていた謎の数字の意味が判明しました.

5.シュレーダー・ヒッパルコス数

 プルタルコス『ストア派の自己矛盾について』の中に長らく謎とされてきた数字がありました.それは次ような数です.

クリュシッポスは確かめもせずに10個の命題の組み合わせが優に100万を超えると述べるが,これに数論に通じたすべての人々が反論しており,とくにヒッパルコスは,10個の命題の組み合わせは肯定形で103049個.否定形が310952個であることを証明した.(1047DーE)『モラリア14』から引用

この103049という数字の意味は長らく謎とされてきたのですが,数学史研究者のアチェルビが1997年の論文でその謎を解きました.この数字はシュレーダー数と呼ばれる組み合わせ計算に現れる数字だったのです.

シュレーダー(1841ー1902年)が発見して100年以上,誰もこの数字の意味に気付かなかったのは不思議です.数学が得意な人はプルタルコスを読みませんし,プルタルコスを読む人は数学が得意ではないということでしょうか?

6. まとめ

 現代にまで伝承された書物の著者は,当時の天才中の天才でした.そんな彼らも桁が大きいときや,開平計算などの「計算問題」は苦手であったということになります.
 一方で,ポリュビオスよりも古い時代,円周率を高精度で評価したり, さらに日常生活ではまず現れないような巨大な数の計算を正確に行える人々もいました.計算の好き嫌いの間の溝というのは,最近始まったことではないようです.そして,その好き嫌いによる分断は理系と文系という自分の思考を拘束する源泉ともなったのかもしれないことを歴史家の計算間違いとプルタルコスの謎の数字は教えてくれているのかもしれません.

参考文献

Eleanor Robson ・Jacqueline Stedall 編『Oxford数学史』(共立出版)斎藤 憲・三浦 伸夫・三宅 克哉監訳,2014年

ヘロドトス『歴史』松平千秋訳(岩波文庫)1972年

トゥキュディデス『歴史〈2〉』城江良和訳(西洋古典叢書)2003年

ポリュビオス『歴史〈3〉』城江良和訳 (西洋古典叢書) 2011年

クインティリアヌス『弁論家の教育〈1〉』森谷 宇一 ,渡辺 浩司 , 戸高 和弘 共訳(西洋古典叢書) 2005年


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