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ソクラテスの命日

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序.ソクラテスが亡くなった日

 ネオ高等遊民さまにソクラテスの刑死の日が4月27日であるという情報提供がありました.これはどの程度信頼できる情報なのでしょうか?調べてみようと思います.

1.D. Lを読む

 古代ギリシャの哲学者について調べるには,まずディオゲネス・ラエルティオス(D.L)『哲学者列伝』を参照することになります.次のように書いてあります.

D.L,第2巻44
ἐτελεύτησε δὲ τῷ πρώτῳ ἔτει τῆς ἐνενηκοστῆς πέμπτης ᾿Ολυμπιάδος, γεγονὼς ἐτῶν ἑβδομήκοντα.
(試訳)また彼[ソクラテス]が亡くなったのは,第九十五回オリュンピア祭典期の第一年目[前400/399年]であり,〔そのとき〕彼は七十才になっていた.

 D.Lは,この情報の出典を前2世紀のアポロドロスの『年代記』であるとしています.つまり前2世紀にはソクラテスの刑死の日付についての情報が失われていたと考えるのが自然です.

2.情報の出所

 それでは,4月27日というのはどこから出てきたのでしょうか? インターネットで拡散される情報の特徴として「句読点まですべて一致」するという現象があります.そのことに注目していくつか検索をしてみると,次の情報に行き着きました.

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 どうやら,ソクラテスの刑死の日付が4月27日というのは2004年には存在していたようです.これをもってして「4月27日説」の一次資料であるとは断定できませんが,注目すべきは書かれてある「テクスト」です.

紀元前399年、ギリシアの哲学者・ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、刑の執行として獄中で毒を飲んで亡くなりました。アテナイ(現在のアテネ)で活動し、対話的問答を通じて相手にその無知(無知の知)を自覚させようとましたが、アテナイ市民には受け入れられず、告発され死刑判決が下されました。 弟子たちは脱獄を勧めましたが、「悪法も法」だと言って毒杯を煽ったのでした。

 これをコピーしてGoogleなどで検索してみると,相当数のサイトに全く同じ文章が引用されています.この日記サイトが誤った情報の発端であったとは考えにくく,他に典拠があるのだと考えます.

2020年5月19日追記

以下の書籍(2003年7月)には,該当する記述はありませんでした.

その典拠となる(書籍)はおそらく2003年に発売されたものであろうと思うのですが,まだ入手できていないため(まったく関心のない本を買うのはお金と勇気がいるのです!),特定をさけておきます.確認でき次第,情報の追加を行います.

 新しい情報としては,ソクラテスの命日に因むとされる「哲学の日」は2006年にはテレビで紹介される程度の知名度を得ていたようです.次のブログを参考にしてください.

 しかしながら,2004年4月27日には,ウィキペデイアにてソクラテスの命日が4月27日であるとの記述があり,番組がウィキペディアを典拠にした可能性もあります.

2020年5月27日追記

ソクラテスの命日についてさらに古い文献の存在を知りました.1993年(平成5年)には,ソクラテスの命日について書かれた本があったようです.

日本記念日協会(編)『ビジネス記念日データブック』日本経済新聞社,1993年

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3.それではどうするのか

 ソクラテスの刑死の日について,どの程度のことが知られているのか?もしくは知ることができるのか? さっそく調べてみようと思います.とりあえずいくつか関係のありそうな本を準備しました.こういう時に「本を買っておいて良かった!」と思います.

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     調査結果については次の記事を参考にしてください.


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