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制服制度は確実にADHDを大学でチー牛堕ちさせるための陰謀

 そもそも私は制服制度に元から反対している。
 黒シャツ隊を思わせるようなファシズム的であり、画一性を美徳としてきた昭和残滓であり、多様性に逆行するシステムであることは火を見るよりも明らかだ。自由主義を支持する程度の良心があれば、迷わず反対するだろう。
 稀に「毎日服を選ぶのは手間だ」「私服にしたら貧乏な生徒がいじめられる」といった高卒じみた反論が寄せられることがあるが、あまりにもIQが低いのでまともに取り合わないで構わない。「標準服」を設定すれば毎朝服を選びたくない人はそれを着て投稿すればいい話になる上、そもそも標準服を着ているからという理由だけでいじめを始めるような生徒は他の理由でも誰彼構わずいじめ始めるだろう。制服制度を擁護するためには、自由主義の否定などの極論でも展開しない限り整合性は取れない。

 制服制度のデメリットはこれだけではない。同制度によって、極めて差別的な帰結が再生産を繰り返している。つまり、制服制度によって、ADHDが確定的にチー牛堕ちさせられるのである。

ADHDは何が出来ないか

 ご存知ない方に説明しておくと、ADHDとはワーキングメモリの発達に不均衡があり、タスクの達成に難が残る発達障害の一種である。
 ADHDの脳を例えると、RAMが4bitしかないPCと考えるとわかりやすいだろうか。ゲームをしながらYouTubeを再生すると動画が頻繁にフリーズするので同時並行が出来ない。同様に、車を運転しながら友達と話す、といったマルチタスクが出来ない。他にも、何がいるもので何がいらないものかわからないので、不要なものもため込んでしまい怒られる。怒られて何かを捨てようとすると、必要なものまで捨ててしまい、必要な書類の提出が出来ない。このような問題が出てくる。

 私自身も中学校時代、主要五教科(国数英理社)は学年上位だったが、技術四科(技家音美)は赤点すれすれを低空飛行するといった状況だった。主要五科の提出を全うするのに手いっぱいで、とても9科目を同時に覚えるなんて芸当は出来なかった。高校受験時も、複数の高校の過去問を同時に対策するなんてことはできないというのが塾講師と母の共通認識だったので、地元の自称進学校だけに絞り、合格まで勉強したという経緯がある。

高校に入ると

 高校に入ると、青春真っ盛りに突入した学生はファッションなどに気を取られはじめ、異性を気にかけ始めると同時に、教科が細分化される。
 英語はコミュニケーション英語と英語表現に、国語は現代文と古典に、社会は公民と世界史に、理科は化学と物理と生物に、数学は数学Iと数学Aに、というように。
いやできるわけないやん!!!
 
私の弱みであった理数系の敵が2体から5体へと増え、地元のテスト勉強なんかせずとも簡単に学年上位に食い込めた中学時代からは一転、私はこいつらを倒す方法すら見当もつかず学年下位へと転落していった。
 周りの学生は確実に色づいていた。色恋沙汰の噂を耳にするようになり、休日は古着屋で服を買う。その傍ら私は、早稲田にも合格実績を出したという理由で入った高校で、MARCHに入れる最低限を維持するのに手一杯だった。気の利いた服を買うとか、モテる髪形にするとか、そんなことには思いを至らせたこともなかった。毎日同じ服を着て行くのに、なぜそんなところに気を回す必要があるのか――?
 私は運動が全くできなかったので、運動部に所属せず、結果として先輩後輩に交友関係が形成されなかった。部活は強制ではなかったので、自然に幽霊部員になった、というか参加したのは初めての部活動説明会の一回きりである。

 かくして、男友達には事欠かなかったものの、女性との接点は少なく、彼女こしらえた経験のないまま高校を去ることになる。3年の夏が開けた後は受験に備えた自主登校制となったため、私のやることは受験勉強へと限られていった。
 私は中学高校とテストに備えて勉強するという行為をしなかった。というかテストの実施日がいつかわからなかった。仮に実施日を理解していたとして今日が何日とかは気にしていないし、気にできたとして実施日までにこれを終わらせるといった計画も立てられないし、立てたとしても遂行できていなかっただろう。
 このようないきさつがあり、私にはテストに備えるという習慣がなかった。受験勉強というよりもどう勉強したらいいかわからなかった。というか、机に向かう時間のうち半分は何をしたらいいか混乱している時間だったと思う。気づいたら関西学院大学に合格しており、高校の卒業式に出席していた。

ロックダウンの春

 春。桜吹雪の中校門をくぐり、サークルにチラシを配る先輩に囲まれて歩き、入学式に座る。そんな日々は来なかった。Covid-19の流行がピークを迎え、STAY HOMEと叫ばれていた。私が再び大学に足を運ぶのは同年の秋となる。
 秋。同級生と話す機会は一年ぶりとなる。再び校門をくぐる私は、チー牛以外の何物でもなかった。
 最初、私は周りの学生と私の何が違うのかもわからなかった。高校まで、自分の身だしなみに気を配るという習慣がなかったからだ。起きて箪笥の一番上にある服を着、それがダサいか否かも考えず登校した。
 大学に入れば他の人は彼女を作っている。なぜ私には彼女が出来ないのかわからなかった。ゲジゲジの眉と、チーズカットのせいと気付くのは3年、就活に突入しようとしていた――。

私だけではない

 結局、私には就活を進めながら垢抜けるという芸当は出来なかった。単位を取るだけで精いっぱいだったので、必修での経験に脚色を重ねて数ある御社たちにアピールした。とあるアパレル商社から奇跡的な内定の一方を貰った後、私はすぐに美容室とGUに駆け込んだのである。

 このような話は私だけの話ではない。ADHDの東大生を知っているが、彼は単位取得すら全うできず2留したと聞いた。大学生活というマルチタスクに「身だしなみ」の1項目を入れるのは、ADHDには至難の業だ。
 身だしなみを気をつけるという行為が習慣になっていたら――、と心の底から思う。大学は人生の夏休み、思いっきり青春を楽しめる最後の機会だ。それをチー牛として過ごすのはあまりにも残酷な機会損失だ。
 この社会はADHDを大学でチー牛堕ちさせるようにできている。直接的な装置は、制服制度だ。下らない慣習のために、数多のマイノリティが青春を棒に振っている。平等は新しき法を求める。

 誰もが簡単に垢抜けられる社会にしたい。そのために私は就職した。読者の諸子も協力してほしい。垢抜けることを妨害する因子があれば、取り除いて欲しい。垢抜けたい人がいたら、深い同情をもって協力してほしい。

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