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HSPかと思ったらただの不安障害でしたチクショー(自己紹介)

今年初め、仕事で鬱状態になってしまった。きっかけはボクの仕事のミスなんだけど、それ以降上司の態度が硬化。同じ空間でチームで仕事しているのに、ボクにだけ話が振られなかったり終日無言だったりで完全にメンタルがやられてしまった。もちろん謝罪はしたけど、一度失った信用を取り戻すのはなかなか難しい。食事も喉を通らず不眠と吐き気に襲われながら、ひさびさに心の底から「逃げたい…」「もう人と関わるのしんどい」と思った。

今のボクには友達がいない。昔から人見知りで友達づくりが苦手だった。それでも学生時代は共通のゲーム趣味を持つ子や、会話のテンポが合っている子と遊ぶこともあった。だけど環境が変われば自然と連絡を取らなくなった友達もいるし、中にはもう関わりたくないと、自分から人間関係をリセットしてしまうこともあった。そんなクソ野郎がこんな状況になってるのは天罰かもしれない。

ずっと生きづらさを感じていた。だけど数年前「HSP」という概念を知ったときは、たいへん救われた気持ちになった。自分は繊細な気質だから、他人の些細な言動や振る舞いにも傷つきやすく、ストレスが溜まりやすい体質なんだ。「男のクセに」とよく言われ、「男なのにどうして」と自分でも思いながら、周りの人とのギャップを感じながら生きてきたけど、そんな自分の生きづらさの根本を探るきっかけを「HSPブーム」が与えてくれたのは事実だ。

でもボクはそれだけで片付かないレベルだった。過去友人関係をリセットしてしまったことも含め、今回の仕事の件でいい加減自分の思考や認知の歪みに向き合わざるを得なくなった。

今までも何かトラブルが起きるたびに反射的に「逃げたい…」「この場から去ってしまいたい」と思ってしまう。特に対人間の不安や緊張が強く、何もないときでもいつもどこかソワソワしているし、オドオドしていると言われる。ボクは【社交不安障害】だった。

そして、その恐怖感が強すぎるがあまり対人接触を避けてしまったり生活にまで影響を及ぼしてしまう場合には、精神医学では【回避性パーソナリティ障害】の診断を下すケースもあるそうだ。ボクは完璧にこれら2つに該当していた。事実ボクは、大学のグループワークの授業でまったく喋れずに孤立し、中退した末に、2年間の引きこもり歴がある。学生アルバイトも怖くてしたことがない。

とあるきっかけで引きこもりを脱し、なんとかバイトから社会復帰のレールに乗り続けてきた。その後も逃げたい思考に何度も襲われたけど、8年前に現職にバイトとして入社してから、去年ようやく正社員登用させてもらった。でも本当の意味で自分と向き合ってはこなかったのかもしれない。歪んだ認知からは間違った思考と行動にしか向かわないからだ。

ちなみに「HSP」は精神医学用語ではないので、基本的に医師が患者に「あなたHSPですね」と診断を下すことはないらしい。

現在は心療内科で処方されたお薬を服用しつつ、なんとか仕事を続けられている。

ブルーバード(訳:飛翔)する時期かもしれない


でもやっぱり今の環境からは抜け出したいと思っている。
引きこもっていたどん底時代から比べればかなり前向きに生きられるようにはなったけど、やっぱりボクは人が苦手だなぁと感じるし、対人コミュニケーションが活発な場では自分がうまく機能しない感覚をおぼえる。

ボクは誰にも邪魔されず、じっくり物事を考えることが好きだ。
そういう自分が得意で好きなことをベースに生きていきたいと考えている。

この選択が「逃げ」なのか「適応戦略」なのか、不安や回避の傾向が強い人間は特にしっかり見極めなきゃいけないところではあるけれど。自分が比較的ストレスが少ないと思える環境や特性を活かして生きることが「逃げ」だとはボクは思わない。むしろ自身の特性を無視してなんとなく周りに合わせながら適応しなきゃと踏ん張っている人の方が「自分から逃げている」と思う。

これを書いている現在、悲しいかなフォロワーは0だけど、元引きこもりの社交不安障害でありながら、今そこそこ前を向いて生きられている自分だからこそ発信できることがあるんじゃないかと思った。だからここでは今後、以下の3点を中心に発信していきます。

・本や作品を読んでの感想、アウトプット
・社交不安症のひとり旅日記
(人多い場所や新天地はとても不安だが、同時にやりたい気持ちもあるので)
・その他雑記や自己発信

これらの発信アウトプットを通して、自分と同じように殻にこもっている人に届けばいいし、そうじゃない人には自分のような人間が存在することを知らしめたい。精神疾患はなにかとその苦しみが理解されない。それに人にはそれぞれに合った特性や戦い方というのがあって、自己のそれを知ることは他者の理解にも繋がると思うからだ。例えば自分にたまたま合っていただけかもしれない成功体験を人に押し付けることもぐっと減るだろう。

なによりボク自身がこの日記を通して障害を克服して、もっと好きに自由に自分を解放して生きていけるようになりたい。

自分の成長記録としての意味合いと、自分の発信がこの世の無理解と理不尽を暴くことをわずかにでも期待しながら、コツコツやっていく所存です。


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