テクスト論から考えるアイドル楽曲【まいにちFinally・day14】

こんにちは!灰色です。

はい、今日も「まいふぁい」やっていきますよー。

本日は少し趣向の違う話です。どちらかというと、Finallyというよりはアイドル楽曲全般についての話かもしれません。


まずは、タイトルにある「テクスト論」という言葉について。初めて目にした方も多いかもしれませんので、自分も専門家ではありませんが簡単に解説……せずに、こちらのサイト様をご案内いたします。

テクスト論(the theory of text)とは、書かれてある言葉に注目し、テクストを多様に解釈していこうという立場です。ある作品の作者にその答えがあるのではなく、読む側、つまり読者がその解釈の答えを握っているという考え方を指します。

出典:リベラルアーツガイド(上記サイト)様より

また、この「テクスト論」と異なる立場をとるのが「作品論」です。

たとえば国語のテストで「筆者の考え(に最も近いもの)を次の中から選びなさい」と選択させるように、「作り手の意図」という正解に辿り着くことをゴールとするアプローチの仕方が作品論です。「こうした考えで書かれた(はずだ)」というスタンスですね。

それに対して、自由記述の読書感想文のように受け手の考えを重視し、それが作り手の意図=正解かどうかは問わない、そもそも絶対の正解などはない、というのがテクスト論です。「自分はこのように解釈した」というスタンスです。

そのため、テクスト論的な考察とは多種多様な材料を手がかりにして思考を飛び回らせながら、自分なりの「深読み」をしていくことでもあります。

前置きが長くなりましたが、本題に参りましょう。今日のテーマはこちら。

アイドル楽曲こそ、テクスト論的な『読み』『解釈』に相応しい題材である」。

この一文だけではそれこそ飛躍しすぎですので、順を追って説明していきましょう。

なぜ、「アイドル楽曲」なのか?

その理由は、「文脈(コンテクスト)が反映されやすいこと」「LIVEで披露されること」の2点に集約されます。

まずは第一の「文脈が反映されやすいこと」について説明しましょう。

たとえば、自分たちの活動スタンス。夢、目標。ファンへのメッセージ。世間に対する見方、あるいは見られ方。メンバー同士の関係性。他の楽曲との共通点・相違点。さらには、SNSによって触れる機会が増えたメンバー個人の考え方や状況。

こうした要素を、ここではまとめて「文脈」と定義しています。

もちろん「文脈」は全てが表に出てくるとは限りません。楽曲で表現されている(可能性のある)要素はごく一部でしょう。

しかし先述した通り、テクスト論の真髄は自由で多角的な深読みです。誤解を恐れずに言ってしまえば、アイドルオタクの妄想を許容する錦の御旗がテクスト論です。ちょっとワクワクしてきませんか?

そのように開き直り……もとい、受け取り方を変えたとき、あなたがいつも聴いている楽曲たちは、実に複雑で多面的な表情を見せはじめます。


この歌詞は結成5年目にあたっての決意を歌っているが、あえて「立ち上がる」という言葉を選んだ背景には、去年の悔しかった出来事があるのではないか?

ここで書かれている「負けないで」は、単なる精神論ではなくて、Twitterで生誕の日に語っていたことと繋がっているのかも?

サビをこのペアが力強くユニゾンするのは、二人が初期メンバーで、一番相応しいからだと自分は感じた!


特に具体例を思い浮かべず適当に書きましたが、たとえるならばこんな感じです。

加えて、タイアップによって楽曲の方向性が限定されたり、世間で共有されているイメージが重要視されるメジャーアイドルと比べて、インディーズ(≒地下・ライブ)アイドルは、こうした要素がより強く楽曲に織り込まれる傾向があるとも言えます。

これが第一の特性、「文脈が反映されやすいこと」です。


続いては、第二の特性「LIVEで披露されること」の分析にまいりましょう。

LIVEとは、総合芸術です。

もちろんその完成度はさまざまです。時には、あなたの求める水準を満たしていないと思うLIVEもあるでしょう。

ですが、今はパフォーマンスのレベルや方向性は論じません。

重要な点は、LIVEは生身のパフォーマンスであること、そしてその場の観客との相互作用が働きうることです。

個性的な衣装をまとい、歌だけでなくダンスを披露し、更にはその日限りのMCが加わることもあるアイドルのLIVEは、映画がそう呼ばれるのと同様、多くの要素を含んだ総合芸術作品です。また、その演出には周年や生誕祭・卒業といった文脈が乗ることも珍しくありません。

数えきれないほど多くのグループが活動しているインディーズアイドル界で、差別化のために工夫を凝らされたLIVEパフォーマンスは、実に雄弁な「読み」の題材な
のです。

また、そこに集まった観客の存在も重要です。コール&レスポンスに代表されるようなインタラクションは、アイドルLIVEでは非常に多く見られます。さらに言えば、インディーズアイドルは規模が小さい分LIVE回数が非常に多い傾向にあり、相対的にフロアの存在感がより大きいと言えます。

千差万別のカルチャーを体現する観客それ自体も、作品の成立に欠かせないものなのです。

こうしたLIVEならではの特徴が、アイドル楽曲をより魅力的な題材にしています。LIVE演出を含めた解釈の一例は、昨日の記事でも展開しました。

広範なテーマを扱ったこの記事を「まいふぁい」に組み込んだのは、連載で楽曲考察をしていくうちにこうした持論が固まってきたためです。

それはすなわち、他ならぬFinallyの楽曲こそが「深読み」に十分耐えうる厚みと魅力を持っていると確信したことでもあります。

既に過去記事で繰り返し述べていますが、Finallyはセルフプロデュースグループであるため、楽曲の歌詞や振り付けが強いメッセージ性を持ち、ステージでも他グループとは一線を画す豊かな表現が展開されます。

こうした強みを持つFinallyの楽曲に触れていくうち、私自身がその魅力をもっと深掘りしたい、あらゆる点から考察して貪欲に楽しみたい、そう思ったことからこの記事を作成しました。


おさらいですが、「〜〜ではないか?」「自分はこう思う」というのがテクスト論の基本姿勢です。なので、あなたなりの材料さえあれば、語ることは「深読み」「妄想」でいいのです。

ただし、しつこいようですが、その読み方に「正解はありません」。ですから、語るときはあくまで「自分の解釈」だということを忘れてはいけません。

そうでなければ、自分の中にある正解を押し付けるのと変わらないですよね。「こういうことだよね?(こうに違いない!)」ではなく、「こんな風に自分は受け取った、考えた」というスタンスです。そのため、「解釈違い」はあって当然なのです。

また、もう一つ注意すべき点があります。

現代はSNSや接触イベントの普及により、アイドルとファンの距離感が劇的に縮まりました。

さらに、インディーズアイドルはメジャーよりも接触・交流の機会が圧倒的に多く、直接メンバーとファンが会話することも容易です。いわゆる「認知」までされているほど熱烈なファンなら尚更です。

これは、限られた規模の中で個々のファンを大切にするインディーズアイドルならではの特質です。SNSで自分やグループ名を検索するいわゆるエゴサーチも、ごく一般的に行われています。

そのため、自分の解釈をSNSなどのオープンかつアクセスが容易な場で披露したり、あまつさえ本人たちとの会話で持ち出すことには、神経質すぎるほどに神経質にならなくてはなりません。もしもその解釈が作り手とその周辺事情にまで言及するものであれば、尚のことです。

芥川龍之介があなたのブログを見ることは絶対にできませんし、テイラー・スウィフトと一般のファン語らうこともまず不可能に近いでしょう。

しかし、あなたの推しアイドルはあなたのツイートを容易に見ることができるのです。

そのため、特に活動規模がまだ大きくないアイドルの楽曲について深く語るときには、常にそれが本人たちに読まれる可能性を念頭に置かなければなりません。心配のしすぎと言われるかもしれませんが、それくらいでちょうどいいというのが私の考えです。

これほど長々とへりくだる必要はないかもしれませんが、深読みに比例して、リスペクトはそれ以上に強くならなければいけません。また、「これは社会の◯◯事件を批判している!」というように思想性を押しつけることも、少なくともオープンな場では控えるべきです。それでも自分の解釈をまとめたければ、手元のメモ帳なりアクセス制限をかけたブログなり、クローズドな手段を選ぶしかありません。

しかし、そうした最低限のマナーさえ守れば、アイドル楽曲を「読む」ことは実に新鮮な刺激をもたらしてくれます。

考察中に新たな発想が浮かび、解釈が予想外の方向に飛躍することもあります。その過程では、曲の聴き方やLIVEの見方もどんどん変わっていくでしょう。

楽曲の総数に対してLIVE回数が極めて多いために、頻繁に通うファンはマンネリを感じてしまうこともあるアイドル楽曲とそのステージパフォーマンス。

もしもあなたが、いつもと違う楽しみ方を模索するのであれば、ちょっと「深読み」を楽しんでみてはいかがでしょうか?

思いを走らせるうちに、あなたの好きなあの曲がもっと特別な存在になる……かもしれません。


それでは皆様、また明日の「まいふぁい」でお会いしましょう!!




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