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【続】師走、人の気持ちに寄り添い続けたい。

こんばんは、灰色の夜です。
今年も皆さん大変お疲れ様でした。

2023年大晦日、今年の振り返りなんて出来る余裕もなく、去年の記事の続編を書こうと思います。(大変身勝手)

結論、1年経っても自分の根幹は変わってないよ、そんな話。






去年の12月に書き殴った記事は、ボクの根底を恥ずかしいくらいありのままに綴ったもので、40近くいいねをもらったけど、正直理由は分からない。

けどこの気持ちが一人でも多くの人に届いていたら嬉しいな。

上記の記事を要約するとこんな感じ。

「自発的に他人を理解しようとする意志と想像力、その行為が"寄り添う"という事で、未来永劫そのスタンスをブレない軸として生きていきたい。」

結論から言えばこの1年間、変わらずその軸は貫き通してきた。
でもそれによって素敵な出会いを得たり、反対に不要な人やモノも得た。

愛のない好奇心を剝き出しにして勝手に傷つけてくる人も沢山いた。
必要ないものに必要とされたかったボクが、必要の無い優しさを広げて、精神を摺り減らした瞬間も沢山あった。

きっと優しさの配分を間違えた人から、不幸を手にしていくんだろうとも思った。


来年は寄り添いたい相手を取捨選択して、優しさという型に少しずつ気持ちを流し込んでいく作業をしていきたい。

気持ちとは、
「誠意」「優しさ」、あとは「コーヒーを淹れてあげたい」とか。

誤ってドバっと注いじゃったら、紙で拭き取ってあげてね。そんな過程も、なんだか愛おしく思えてくるよきっと。

"寄り添う"という行為の行く先が、"愛"と呼ばれるものであると祈って。

流し切った型で美味しいクッキーでも作れたなら、それはきっと幸せの味がするんだろうし、笑顔で食べてくれる人が隣にいれば、それが人生の意義になるんだろうな。

人類に等しく愛をもたらせるのはキリストくらいだし、ボクらはキリストじゃないし、キリストもボクらにはなれない。

隣人愛なんて器用な芸が、ボクら人間に出来る訳ない。






最近、読書が捗ってなくて、語彙力や表現が稚拙極まりないね。

2024年は価値観を揺さぶるような言葉や表現を探す旅をしていく、特に吉本ばななを沢山読むね。

今年は随分と雑な締め方になってしまったけど、来年は期待してね。
あ、転職活動これからが本番だから頑張るね。

ちなみに今夜の年越しは、ハライチのラジオで迎える予定だよ。もちろん紅白も楽しみ。


改めて2023年もありがとう、暖かくしてご自愛ください。

それでは、よいお年を。





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