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白い布

あるところに、白い布がありました。
天使の羽のように白く、清潔で美しい白い布をみんなが欲しがりましたが、
白い布は自分が汚されることを嫌いました。

ある日、隣町の王女様が白い布を拾い上げ、こう言いました。
「これは、これは。なんて綺麗な布なのかしら。ちょうどいいサイズに、ちょうどいいさわり心地。決めたわ。この白い布は私のハンカチにしましょう」
それを聞いた白い布はピッと王女様の人差し指を噛みました。
「痛いっ!」
とっても可愛らしいドレスをまとった王女様のことは気に入ったけれど、ハンカチにされるだなんてたまったもんじゃありません。
王女様が痛がっている間に、白い布はふわりと風にのって、遠くへ飛んでゆきました。
「ハンカチ? ふんっ! 汚されてたまるか」
ケッケッと悪態をつく白い布を今度は大柄な男の人が捕まえました。
「おお。こりゃあ、いい。上等な布だ。どうれ、わしの息子のよだれかけにしようじゃないか」
男の人は嬉しそうにガッハッハ、と豪快に笑い声をあげました。
白い布をぎゅっと手で握って、家へ帰ってゆきます。木製で色とりどりの綺麗な花の香りがするこの家を、一瞬、白い布は気に入りましたがすぐに我に返りました。
「よだれかけ? 汚らしい。絶対にお断りだ!」
 男の人がまだ赤ん坊の息子をあやしている間に、白い布はちょっとだけ開いた窓からひゅるる~っと飛んでいきました。
それからも白い布はおばあちゃんの頭巾にされそうになったり、女の子のぬいぐるみとして縫われそうになりました。その度に白い布はひらひらとかわし、自分を汚そうとするものから必死に逃げていました。

白い布は自分のことが大好きでした。
自分のことしか、好きになれませんでした。

「美しい、美しい、白い布。わたしはわたしだけのもの。誰にも何にも汚されない」

鏡をのぞきこんでは、白い布は自分に語りかけました。
人々が頑張って溜めた貴重な水で体を洗い、青年が母親のために奮発して買った高級な香水を身に纏い、白い布は幸福でした。まるで自分のためだけに、地球は回っているのだと錯覚してしまうほどに。

白い布は周りの布たちに同情していました。
自分のように才もなく、美しくもない布たちは黙ってハンカチやよだれかけや洋服にならねばならない。可哀想だ、と白い布は心から思いました。

あるとき、白い布が風にゆられながら気ままに旅をしていると、一枚の布に出会いました。
その布は道の隅で死にかけていました。とても汚れていて、泥色に染まっています。ところどころ破れているし、悪臭を放っているその布に白い布は遠くから声をかけました。
「可哀想に。あなたはもうじき死ぬ。もとはあなたも私と同じぐらい白い布だっただろうに」
「いいえ。私は可哀想ではない。確かに私はかつて、君と同じほど白く清潔な布だった。そしてもうじき、死んでしまうだろう。でも可哀想ではない」
白い布は同情しながらも、その布をどこかで見下していました。
だから泥色に染まった布が弱々しく、でもハッキリとそう言い放ったとき白い布は驚きました。そしてなんだか、意地悪を言ってやりたい気持ちがムクムクと膨れあがってきました。
「もしかして見栄を張っているの? あなたはどこからどう見ても不幸そのものだよ。なんなら、あそこにいる小鳥に聞いてみようか? あなたが不幸か、そうでないか」
白い布がそう言うと、泥色に染まった布がおかしそうに笑いました。
「いいだろう。でも、見るだけでは不幸とも幸福ともいえない。不幸か幸福か決めるのは私次第なのだから」
白い布はますます腹が立ちました。
こんなに美しくて清潔な自分よりも、泥まみれになったその布のほうが幸せそうに微笑むからです。
「君は幸せなのかい?」
今度は泥色に染まった布が、白い布に尋ねました。
「もちろん。わたしは幸せに決まっている。こんなにも美しく、清潔で、品があるのだから」
「汚れたら君は幸せじゃなくなるのか?」
「うん。わたしだけじゃない。全ての布がそうだ。いや、布だけじゃない。全ての生き物がそうなのだよ。ボロボロで汚く、老いていては幸せとはいえない」
「君はとても不幸な考え方をしている」
泥色に染まった布が、白い布にそう告げました。
「私もむかしは君のような考えを持っていたよ。でも違うと気がついた」
白い布はうまく言い返すことができず、ただ黙って泥色に染まった布の話を聞くしかありません。
「ある日、私は花に出会った。とても小さな花だった。『コンクリートの割れ目に咲いてしまった自分はすぐに死ぬ』と言うので、私は『人々に踏まれたほうが強い花になるんだ』と教えてやった。すると次は『人間に摘まれて自分は死ぬ』と言い出したんだ。だから布で覆ってやった。そしたら『光合成ができなくて自分は死ぬ』と嘆くんだ」
「そんな面倒くさい花、放っておけばいいのに」
「そうかもしれないな。だが、放っておけなかった。私が花と一緒にいることを望んだんだ」
泥色に染まった布はゴホゴホッと苦しそうに咳き込んだあと、また語り出しました。
「それからずっと私はその花と過ごした。嘆く花を支えながら、ときに花に支えてもらいながら。私は人々に踏まれ、どんどん汚れていった。でも花が元気ならそれで良かった。花のためならなんだって頑張れたんだ」
「それで、花は?」
「離ればなれになってしまったよ。台風がきて、私は飛ばされた」
「やっぱり、あなたは不幸だよ」
と、白い布は言いました。
「こんなに汚れて傷ついて、でも花とは永遠に会えない。あなたの行動は無駄だったんだ」
泥色に染まった布はしばらく何も言いませんでした。
白い布はむしゃくしゃしていました。こんな古びた布の不幸話なんか何の役にも立たないや、とがっかりもしていました。
「君は可哀想だ」
泥色に染まった布が言いました。
「可哀想だと気づけない君はとても不幸だ」
布はそう続けました。
「王女様が王子様を愛したように、父親が息子を愛するように、老婆が思い出を愛するように、女の子がぬいぐるみを愛するように、君も誰かを何かを愛することができるといいな。そのとき君は本当の幸福を知る。そして本当の不幸も」
そしてまた、泥色に染まった布は何か言おうとしましたが、
強い風が吹きました。白い布はその風にのっていきます。

数日経っても、白い布の心はざわざわとしていました。
今まで得てきた美しさや清潔さや高貴さといったものが、
ちっぽけなものに思えてきたのです。
でもそしたら、白い布は今まで何をしてきたのでしょうか。
白い布は鏡をみるのをやめました。

「わたしは間違っていない」

そう白い布は自分に言い聞かせました。

「白い布!」
白い布がぼんやりと日にあたっていると、男の人がやってきました。
右手で白い布をわしっとつかみ、左手には炎がゴウゴウと燃えているたいまつを持っています。

「お前が体を洗った水は、この村の最後の水だ! お前のせいで水が飲めず、みんなが苦しんでいる」

男の人はこの村の村長さんでした。
つづいて、青年が白い布のもとへやってきました。
「母さんにプレゼントしようとした香水を使ったな! この泥棒め!」
青年が叫びました。

白い布はいろいろな言い訳を考えましたが、
たいまつの炎が白い布に襲いかかってきました。

バチバチバチバチ。白い布は燃えていきます。
白い布の視界の端に、あの王女様が見えました。
王女様が大切そうに、青い布で手を拭いています。青い布もとても幸せそうでした。

白い布は悔しくなりました。
寂しくなりました。
悲しくなりました。

こんなにも炎に包まれ、燃えているというのに、
白い布の心は一度も温まりません。
代わりに小さな小さなたくさんの涙の雫が、
白い布を冷たくしてゆくのでした。

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