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#002-02 突然に下半身不随宣告された息子。すところどっこい疾風記〜息子とともに駆け抜けた23年間の記憶〜

「足が動かへん」
と訴えてから数週間。

大学病院から今は兵庫県重粒子線センターで治療を受けている。

本来は猛威を振るったコロナの影響で、まだ面会や付き添いが制限されていた時期だったのだが、シンは発達障害の影響で、不安な気持ちが人より強く、治療にも影響を与えかねないとの判断で、個室から出ないという制限付きで家族一人だけならと付き添いを認めて貰えた。

治療は一日一回20分ほどを30日間続けると言う治療だ。

訳もわからずに大阪から転院し、足が動かせないという身体に対しても正確な説明を担当医からも親からも聞かされていないと言う状態だった。
担当医からは
「今伝えるとショックが大きすぎるので徐々に本人が気付くように持って行ったほうが…」というグレーなアドバイスをもらった。

ボクは
「将来、医療は進化するし、その時は歩ける可能性が出てくるから、今はリハビリしんどいけど少しづつ続けよ。」
と伝えるのみにしてしまっていた。

シンはその言葉を最初は信じ、転院前の担当医の最後の回診の時には
「次にお会いするときは歩いて先生に会いに行きます。」
と笑顔で伝えていた。

ボクはひどい親である。
無駄に希望を持たせてしまったのだ。余りにもシンに次から次へ試練が訪れボク自身が処理しきれないくらい困惑していた。全てのことがわずか2ヶ月ほどで起きたのだ。

そして今は、一切身体を動かすこともできず、異様なほど清潔に保たれ、まるでバイオハザードにでてくるような部屋で受ける治療は、かなりしんどかったはずだ。しかしシンは1ヶ月間、一言も愚痴を言わず耐え抜いた。

絶対に治すという固い意志を親には告げずに実行したのだろう。

治療以外の時間は比較的穏やかだったのかもしれない。今のところ痛みが出るであろう箇所は皮肉にも下半身麻痺という症状で抑えられている。

今までにない綺麗な個室。非常に献身的で地元出身の方が多く、シンと同世代のお子さんをお持ちでシンに親しみを抱いてくれる看護師さん達。

患者数も比較的少ないので本当に良くしていただいた。

また病院とは思えないような美味しい食事。

そして何よりも24時間、母親が付き添ってくれる。これほどの安心感はないのだ。

週に2回ほど片道、3時間高速を飛ばしてボクは会いにいく。

そのときだけ奥さんはボクと交代して外に出られる。シンご希望のお菓子や飲み物を買いだめする。

そんな時シンは苦々しい顔をして
「はよ帰ってきてな。」

…ボクは全く頼りにされていないようだ。

しかし背中にできた褥瘡が大きく深くなり、皮膚科で処置しなければならなくなった。

ここの病院は市街地からかなり離れた山の中にあった。山深く高速道路を走るといきなり最新のメディカルセンターを中心とした街並みが広がる。とても清廉と並ぶ建物群は人々の気配も感じないほど静かに佇む。

しかしその中には皮膚科の病院はなく、片道2時間ほどかけて介護タクシーで向かうことになる。

シンが朝のルーティンワークをこなし病院へ行くとほぼ一日仕事だ。

その日は月に一回、病院のロビーで行われる映画鑑賞の日で、
看護師さんから
「今日はオールウェイズっていう映画やから楽しみにしていてな。」
と声をかけてもらった。

シンはそっけなく
「何回も観てるし。」

とはいうが、実は何回も観るほど大好きな映画なのである。しかも久しぶりのイベントを心から楽しみにしていた。

皮膚科の受診と薬局で時間がかかり、さらに予想外の渋滞で病院へ戻ってきたのは映画が始まって10分後。

始まって10分とはいえ、シンにはその中にいきなり入って溶け込むことが苦手だ。何事にもアイドリングの時間が必要なのだ。

肩を落とし、悲しそうに
「もう部屋に帰る。」
と呟く姿に意味もなく申し訳なく感じてしまった奥さんはシンの見えないところでさめざめと泣いた。

ボクはその後、この話を聞くことになるのだけれど、シンが密かに楽しみにしていた姿を思うと、切なくて、辛くて、かわいそうで仕方がない。

どれほど日頃からできないことが多く、理不尽に我慢を重ねていたのだろう。

この日は久しぶりに訪れた楽しみを、誰が悪いわけでもなく、こんな小さな楽しみにさえ手に届かないシンの気持ちを思うと、今でも苦しい気持ちになる。

シン、今度一緒に映画観ような。


よく患者さんに対して「かわいそう」という言葉は失礼である。という意見がある。

確かによく知り得ない方に対してこの言葉は失礼にあたるのかもしれない。

でもボクはシンが受けた出来事を考えると「かわいそう」としか思えない。旅立ってから2年近くたつが、今だに心の底からそう思っている。

家族だから。

辛さを何度も目の当たりにしているから。

家族だけに。

そう思う。

よく、心配をしていただいた方からお悔やみの言葉をいただいた時に
「最期は苦しまず安らかに目を閉じました。」
と言ってしまうが、これは聞いている方が安心していただけるように答えているだけで、本当は最期まで苦しんだし、そんなに綺麗な終わりなどないわけで。

あとよく励ましの言葉で
「少しは元気になった?」
と言われる。

心の中ではいやいや、一生元気出ませんから〜と思いながら
「ハイ!元気です!」
と答えることにしている。


こんなことがあった。

お世話になった校長先生が2月ごろにお線香をあげにお見えになった。

余りにも塞ぎ込んでいるボクたちを見て

「もうすぐ春になる。そうしたら庭に出てみ。草花が色づき、新しい生命が誕生する季節や。

君たちも日を浴びながら庭仕事してみ。

絶対にシンは横にいるで。

シンの息吹が感じられるはずやで。

生命力はいつでもどこにいても、感じられるんやから。

こんな悲しいことは一生忘れられる訳ないし。

これからも元気になることは難しいかも知れん。

そやけど、シンのために外に出てお日さん浴びて、健康に過ごさなアカンで。

シンに怒られるで。」

今までで一番心に刺さった言葉だ。

そうだ。塞ぎ込んでいるボクたちをみて、悲しむのはシンだ。
それにトモもボクたちの様子を気にしながら、日々過ごしているのだろう。

ずっと生きる気力がなく、シンにただ会いたい。もう一度話をしたい。そんなことばかりを考えていた。

人生でこんなに辛いことはないと。

でも校長先生の言う通り、いつもシンがそばにいると感じながら生きていけばいい。


この先ずっと悲しみが続いてもいつも横にシンがいるんだったら、途方に暮れることもなく生きていける。

今横でシンの声が聞こえる。

「やれやれ、しゃーないなぁ。一緒に居たるわ。」

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