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「食事を分かち合うように心を分かち合う」次世代にきっかけの種をまき続けるDialogue for People安田菜津紀さんが伝えたいこと

「カルチャーを通して異文化理解を深める」ウェブメディアGradeco.

今回は、Dialogue for People 副代表でフォトジャーナリストの安田菜津紀さんにお話しをお伺いした。フォトジャーナリストとして写真はもちろんのこと、食文化にも目を向け全ての人々に社会的課題を「伝える」ことを目指す安田さん。彼女が今「写真」と「食」二つのカルチャーを中心として、伝えたいことは何なのか___


まず、安田さんのご活動のきっかけについて、お伺いした。
 - 安田さんのご活動のきっかけを教えてください

元々「写真で伝える」仕事のきっかけのきっかけは、高校二年生の時に「国境なき子どもたち」の友情のレポーターとしてカンボジアに派遣していただいたことです。やっぱりそれまでなんとなく「遠い国の大変そうな問題」という風に、体感するまではいかない輪郭のぼやけた問題意識はあったんですけれど、実際に現地に行って間近でお話しをする事で「目の前でお話をしてくださっているあなた」が抱えている問題なんだ、と心の距離がぐっと縮まり問題の輪郭がクリアになったんです。

そこから同世代の友達が抱えている問題に対して、高校生なりに何ができるだろうと考える様になりました。しかし高校生なのでものすごくたくさんの資金力があるわけではない。複雑な社会背景の中で虐げられてきたような同世代の子たちに毎日お腹いっぱいになってもらったり(過去の戦争で用いられた不発地雷などによる)怪我の治療ができるわけでもないし。「じゃあ高校生なりに何ができるだろうか」と考えた時に、一人でも多くの人々に自分が五感で感じてきたカンボジアを共有することだな、って思ったんですね。

そこで、高校生なりにカンボジアに行った後に雑誌に寄稿する機会をいただいたのですが、それが、いわゆる論壇雑誌〜今の政治を問う〜みたいな分厚い硬派なやつで...(笑)そんな硬派な雑誌をなかなか高校生が読まないじゃないですか。でも自分が取材してきたのが同世代だったのでやっぱり同世代に伝えたいという思いがあったんです。

そこで今度は、学校の教室の中で「カンボジア行ってきたんだよ〜」という様に友達に写真を見せてみたりすると「あれ、それ何?」「どこ行ってきたの?」という風に普段話したことのないような同級生とかが話しかけてくれるな、という感覚がありました。そこで「ああなるほど。写真っていうのは『これなんだろう?』っていう『知りたい』の最初の扉を開いてくれるものなんだな、興味関心への間口を一番最初に広げてくれる物なんだな」って思ったんです。写真は情報量が少ないのでそこの限界を補填するのは動画や文字の力だと思うのですが、そこまでの「引き寄せる」力があるのが写真なんだろうなと思うようになったんですね。

高校時代訪れたカンボジア(提供:認定NPO法人国境なき子どもたち)

また、安田さんはNPO法人Dialogue for Peopleの副代表を勤めていらっしゃる。

「伝える手段」が目まぐるしく変わっていく現代。「伝える」仕事を自分なりにやってみたいという若い世代にとってはなかなか足掛かりが掴みにくいんですよね。Dialogue for peopleは、「伝える」ことをやってみたいという若い世代が足掛かりを掴みにくい今、持続的に「伝える」という仕事ができる場の礎を築いていこうという思いもあって、NPO法人として活動しています。

細くても長く関わり、問題の本質を理解する

このように、フォトジャーナリストとして国内外問わず様々な地域の生の声を発信する安田さん、今まで足を運んだ地域はどのくらいに及ぶのだろうか
- 今まで活動を通して足を運んだ国・地域はどれほどに及びますか?

国... ってよく聞かれるんですけれども、実は自分の中で数えてないんですよね。大体20カ国くらいかと思うのですが、数えていないというのは、国の数がどれくらいだかってことがあんまり自分の中で重要じゃないからだと思います。それよりも例えば同じ国、同じ村に通って同じ方に会わせてもらう、関係性を持続していくっていう事が大事だと思っているんです。最初に行ったカンボジアでは、ずっとHIV・エイズウイルスに感染した方々の取材を私なりにしてたんですけれども、やっぱりこう関係性を長く築かないと分からないことっていうのがあって。最初はHIVに関する問題って病気だけの問題だ、という風に思ってたんですけれど、よくよく取材をしていくと、HIVに関する偏見とか差別によって関係性を絶たれちゃう、孤立の問題なんだなということにだんだん気づいていったんです。当事者の方が大災害や厳しい紛争、病気等の経験を持つとすぐに心を開いてくださるとは限らないので、やっぱり細くても長く取材をして問題の本質を掴む、そしてその方々の心の歩みを大切にするということが大切なんだろうと思っています。

次に、安田さんが「伝える」手段として活用する写真について、お伺いした。
- 写真というツールには、どんなパワーがあるとお考えですか
写真には「ぱちっ」ていう瞬き一つの瞬間で0を1にしてくれるようなパワーがあると思っているんです。0(=無関心の状態)って何をかけても0なんですけれどその関心が1にさえなれば2にも3にもそれ以上にもなっていく可能性もあって、そんな今まで無関心だったものを関心に引き寄せてくれる、それが写真の持つパワーだと思っています。例えば、「紛争の問題に興味を持ってください!」という風に言われたとしても、元々関心を持たない人にとっては「壁を登ってください」と言われているようなものなんですよね。でもまず最初に写真があって「あれこれなんだろう」って少しずつ階段を登ってみる、そんな階段の一番最初の間口を開いてあげるっていうのが写真なのかな、と思います。そして、現地の方とコミュニケーションをとる上で、例えば動画って結構回してる時間が長いじゃないですか。そんな風に、ずーっとカメラを向けられているのは少しプレッシャーだったりするんですよね。でも写真だとその瞬間瞬間の映像を切り取ってくれるし、撮っている時間よりもコミュニケーションを取ったり、一緒にいる時間の方が圧倒的に長いから自然なコミュニケーションも生まれるんです。そういった意味でも写真はすごく大切なツールかな、という風に思っております。

「彼らは生きていた」という事実を託せる最後の手段

- 逆に写真で伝える上で苦労したことはありますか?

ものすごく傷ついたりとかしんどい状況にある人にとって「カメラを向けられる」ということ自体がすごく負担になったりとか暴力的になったりしてしまうことがあるんですよね。だから、あの自分から躊躇してしまったりすることもあります。「撮って当然だ」と割り切ってしまった瞬間にズカズカと人の心の中に土足で入っていくことになるので、その人は多分二度と心を開いてくれないと思うんですよね。

一方で、自分からコミュニケーションを放棄することが良いというわけではありません。三年くらい前に、IS(過激派勢力「イスラム国」)とのs戦闘が続くイラクを訪問し病院に取材に行った際、そこにはどんどんどんどん人が運び込まれてきて、子供たちの呻く声や助けて欲しいと訴えるご家族が声が院内にわーっと響いているような状況でした。正直撮ったところで彼ら彼女らの傷は癒えないし、「何やってんだろ」と体が固まってしまった時に、一人のお父さんがこっちにやって来たんです。てっきり「撮るな!」と言われると思っていたら、「お前はここにいる子どもたちが兵士に見えるか?銃を打ってくるようなスナイパーに見えるか?見えないんだったらちゃんと写真で撮って伝えなさい」という事を言われて「ああそっか。ここにいる人たちっていうのはどんなに理不尽なことがあっても自分から声をあげ、それを広く伝えるっていう手段がないんだ。っていう事は今私がここで持っているカメラっていうのが『彼らは生きていた』という事実を最後に託せるものなんだ」と実感したんです。ズカズカと人の心に踏み入るのは良くないですが、自分から一方的に「撮る」役割っていうのを放棄することもいけない、そういった葛藤や苦悩は常々ありますね。

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(シリア北部、ハサカ県の破壊された教会)


現地の方々が何を望んで、何を痛みとしているのか。

写真の裏の、現地の方々とのコミュニケーションにも、思いを馳せる事が大切だ。

食文化から辿る社会課題

続いて、安田さんが取り組んでいらっしゃる「食」を通した取材についてお話を伺った。
- 「食」を通しての活動のきっかけを教えてください
きっかけは、9年以上戦争が続いているシリアという国の取材に関わってくるんです。実は私は、戦争が始まる前のシリアに大学生の頃に友人が住んでるご縁で通っていたんですね。だから、最初から「戦地・戦場」だったわけではない ということも知っていたし、あそこに最初から「難民」っていうレッテルを貼られている人々がいたわけではない ということも分かっていたんです。そして2018年、8年ぶりくらいにようやくシリアの国内に入る事ができ、目にしたのは荒廃してしまった村や、痛みを抱えた多くの人々。自分が戦争前に通っていたような、穏やかで、全力で人をもてなし、平和を愛する人々が住むシリア はもうなくなってしまったんだろうか、ってすごく打ちひしがれる思いだったんです。

取材二日目の朝、たまたま戦火を逃れていた街の食堂に入って、ファラーフェル(ひよこ豆のコロッケ)という定番の軽食を食べていたんです。そうしたらお店の人たちが「どこからきたの?」「よかったら厨房の方も見ていかないか!」「こっちの方が揚げたてだぞ!」というふうに全力のおもてなしをしてくれて。外から来た私をまるで家族のようにもてなしてくれて本当に全力で向き合ってくれるその姿を見て、感極まってわーっと涙が溢れてしまったんです。変わってしまったと思っていたシリアだったけれども、実は私が戦争前にシリアで味わったあの感覚がまだここにあったんだ、って。

その時に体感したのが、食というのはただ単に体の栄養を補充してくれるっていうものではなく、その食事をかつて誰と食べたか、どのように分かち合ってそこでどのような会話がそこにはあったのか、と色々な思い出を呼び起こしてくれるものであり、食文化というのは「誰かとの記憶そのもの」なんだなっていうことだったんです。また、同時期にシリアから日本に逃れてきた難民の方が難民申請が降りなかったという事件も重なって、「ああ、日本に逃れてきた難民の方々も自分たちの故郷の味があるはずだろうけれど、それをどんなふうに日本で限られた中再現しているんだろう」とか「それを食べた時にその人たちはどんなことを思い出すんだろう」とか「たくさんの思い出がその食文化に詰まっているはずだけれど、なぜそれだけの思い出が詰まっているはずの場所をその人たちは離れなければならなかったんだろう」って、食文化から何か辿れるんじゃないかなという風に思ったんですよね。

日本にもこれだけ難民申請をしている方がいながら彼らはこう「どこか遠い存在、他者」っていうふうに扱われ続けてしまっている。この溝をどうやって埋められるだろうと考えた時に、誰しもが手を述べやすいカルチャーの力が必要だと感じ「食」を通した取材をはじめました。

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(40年前にベトナムから木造船で逃れた、南雅和さん)

「美味しい」を分かち合うようにお互いを理解すること

- 「食」には、社会課題解決のためのそんな魅力があるとお考えですか。
「食」って自分とその人の「何が違うのか」ではなくて「何を分かち合えるのか」を教えてくれるものだと思うんです。「美味しいね」という共通点というのは「義務感」や「何かをしなければならないんだという使命感」を伴うんじゃなくて、とても自然な形で接点を生み出してくれるんですね。だからやっぱり同じ食事を分かち合うようにお互いを理解していくっていうことが大切だ、と私はこの取材を通して実感しました。問題の「ひどさ」だけを伝えていくと、関心層には響くけれどももともと持っていない人は心を閉ざしてしまうんですよね。だからやっぱり北風の冷たさを共有することも必要かもしれないですが、人が無関心のコートを脱いでくれるような太陽の部分、それこそ食文化だけじゃなくて音楽とかファッションとかいろいろな間口を見つけて、人々にも共有していく事が大切だと思います。自分なりに親しみやすい間口を見出すという事は社会に目を向ける際にすごく大事だという事、そしてそれを多くの方に実際に体感していただくためにこの取材をこれからも続けていくことになると思うので、是非是非記事とかも読んでいただけたらと思います。

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(南さんのお店、イエローバンブーのメニュー、ベトナムお好み焼きバインセオ)


「カルチャー」という誰の生活にも寄り添った、誰もが楽しめるものを入り口に、社会の問題を考えていくということは、まるで「太陽」のような何か暖かいものでで無関心の氷を溶かすことのようだ。

最後に、これからのご展望と、次世代を担う学生読者へのメッセージをお聞きした。

- 5年後10年後の目標と、安田さんが「きっかけの種をまく」対象としていらっしゃる次世代を担う学生の読者へ何かメッセージがありましたら、お聞かせください。

実はこの「食を通して難民の方々の声を伝える」という活動を児童書にしていたりするんですけれども、今後10年15年かけてやっていきたいのは「次の世代に何を手渡せるか」を考えることだと思っています。例えば難民の方々の中でも、社会にこれだけ多様な人々がいるにも関わらず、「肌感覚として風当たりが強くなった」というお話をされる方もいらっしゃるんですよね。でもその、他者を排除してしまうような感情的な反応って長く時間をかけないと明日からガラッと変えられるものではないと思うんです。となるとやはり、次世代の若者とじっくり一緒に考えて、懐の広い社会を築いていく礎を作る、きっかけの種を撒く、ということを大切にしていきたいと感じます。そうですね...。私は友情のレポーターとしてカンボジアへ渡航し、帰国した後、それこそ会いたい人に突然アポをとって会いに行ってみたりとか、新聞社とか雑誌社とかに図々しく電話をかけて「記事を載せさせてください」みたいなこともやってみたりとか(笑)していたんです。しかしやっぱり社会人になると人間関係に「仕事」って言うのがついて回るんですよね。それってやっぱりお金の関係になってしまう事が多い、それを抜きにした人間関係を広げられるとても大切な時期が学生時代だと思います。「図々しいくらいの勢い」で会いたい人に会ってみる、アプローチをしてみたいものにアプローチをしてみる、っていうことを自由にやっていただけるといいのかなと思います。なんの職業にこう付きたいかっていうよりも「こんな生き方をしている大人がいるんだ」とか、それぞれの生き方や生きる姿勢みたいなものを通して目指したいものが見えてくるんじゃないだろうかという風に思います。

「写真」と「食」二つの「カルチャー」からお話しをお伺いした今回。Gradeco.の今後の活動を考える上でも、新しい学びが絶えない取材となった。実は今回取材をさせていただいた安田さん、「食」をテーマとした連載を組んでいらっしゃる。(記憶を宿す故郷の味、連載一覧ページは こちら

イラン,ミャンマー,カメルーン...なかなか口にすることのない料理たちが並ぶ彼女の連載記事には、美味しいへのヒントだけでなく私たちの隣人たちが抱える問題を考えるヒントが詰まっている。
一人一人がなんらかの形で親しみを感じる「カルチャー」には、無関心で凍った心をそっと溶かしてくれる「太陽」のような力があるのだ。

安田菜津紀
1987年神奈川県生まれ。
NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)所属フォトジャーナリスト。
同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる
子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。
東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。
著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。
上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

安田菜津紀が副代表を務めるNPO法人Dialogue for PeopleのWebページはこちら

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