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いつか私も自然に帰っていく

外は暑く、時々雷や豪雨があり、九州では相当な規模の地震が起き、翌日は関東でも地震があり、何やら自然現象が忙しい。
人間たちも、水やら非常袋やらを我先にと買い漁り、やはり何やら忙しいそうだ。


我が家といえば、当面の水と米、何らかの食料品の余剰はあるが、特別に非常用の準備はしていない。それ以上の、たとえば避難所を確認したとて、誰かの手を借りねばそこに行くことはできない。仮に避難所に行ったところで、車椅子への乗り降りもできないし、お手洗いにも行けない。そういった理由から、我が家では家で過ごそうと言う合意がなされている。実際に避難しなければならない状況になれば、その時のことだ。

私はまだそれなりにやりたいことはあるが、このところはいつ死んでもいいなと思い始めている。
それを明確に思い始めたのは、「3秒後に死ぬかもしれないから、今この時に精一杯のことをやろう」と強く意識し始めた頃からかもしれない。
いつ死んでもいいなんてずいぶんと投げやりに聞こえるかもしれないが、むしろその逆で、今を精一杯生きようとしていることの裏返しである。
そして本当にすぐにお迎えが来ることになったとしたら、私はバタバタするに違いない。それもかなりどうしようもない理由でだ。例えば、おいしいステーキを食べてからとか、好きな人にいっぱい会ってからとか、欲しかったものを爆買いしてからとか、そんな馬鹿みたいな理由で、駄々をこねてお迎えを受け入れないのだろうと思う。


それに高齢の母を残して先に行くわけにもいかない。母はいつ逝っても良いと思っているらしいし、もういい加減生きることに飽きた的なことを言っているが、口ではそう言っていても、障害を持つ私を残して先に逝く母の気持ちはおよそ想像はつく。かといって、私が先に逝ってしまえば、母は生きる気力をなくすだろう。

いずれにしても、地震はいつやってくるかわからず、それは神様にも多分わからない。
地震は長い長い地球の歴史の中のほんのひとこまだ。人の命はさらにちっぽけなものである。
ちっぽけな命をどう燃やすか、自然にあらがいつつ、いつか私も自然に帰っていくのだろう。


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