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住む人を失った家

近所に住むおじいさんが家を出られた。
80代半ばのおじいさんは、お一人で借家に住んでいた。社交的な方ではないが、母や近所の女性とは世間話をよくしており、我が家の草刈りを何も言わず、そっとやってくれる気のいいおじいさんだった。
お勤めをされていた頃は、社員旅行でお酒を飲み、何らかのトラブルがあったらしく、ガーゼを貼って帰宅するなんていう、ちょっとはちゃめちゃなところもあったようだ。


この1年ほどで転倒することが多くなった。そのたびに母も私も心配をしていたが、数ヶ月前に転んでからは歩くのが困難になり、ご兄妹が週に何度か買い物に連れて行くようになっていた。そしてそれもだんだんできなくなり、日常生活が立ち行かなくなってやがてヘルパーさんが入るようになった矢先のことだった。


ある日、普段とは違う時間帯にヘルパーさんが来ており、何かあったのかもしれないと思っていたが、翌日ご兄妹がお見えになり、もうこの家で暮らす事は難しくなったので、施設に入ることになったとのご挨拶に来られた。
ご兄妹が来てから数時間後、おじいさんはご兄妹に連れられてそっと家を出た。こういう事情だからか、車に乗るのが精一杯だったのか、最後にお顔見ることもできなかった。


彼の年齢を考えると、もうこの家に戻ってくる事はないだろう。私は挨拶程度しか会話をしたことがないが、長年近所で暮らしておられた顔見知りがいなくなることに、寂しさと高齢化社会の現実を目の当たりにした。


ビールを飲むことが好きだった近所のおじいさん、唯一の楽しみだったであろうが、施設ではもうお酒を飲むことはできないだろう。1人で自由に暮らしていた彼は、安心安全は手に入ったが、自由を手放さざるを得なくなった。それが「老い」というものだろうか。


住む人を失った家は、変わらず静かにたたずんでいる。時々雨戸を開ける音や自転車で帰ってくる音が聞こえるような気がしてならない。


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