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DI(デジタルインタラクティブ)と奴隷の発想

私達は知らぬ間にデジタルツールを奴隷化しています。
ChatGPTはその最たる物。

インタラクティブと聞くと耳触りがいいけれど、
スマートフォンやパソコンの画面に向かって〇〇して、
〇〇を教えてなど、毎日数えきれない程の“オーダー”を
血の通わない相手に一方的にしています。

でもそれって、やっている事自体は奴隷と変わらないんじゃないの?
と思うのが私の正直な感想です。
物心ついた頃から、デジタルインタラクティブに慣れ親しみ
機能的な部分のみで学習や教育全般をポジティブに捉えているならば
それは奴隷の発想を植え付けられているのと同じ事です。

“双方向のコミュニケーションとは、本来オーダーする側の人間と
商品や答えを与える側との間に、感情的な充足感が得られる体験”を
インタラクティブ(双方向)と定義するのではないでしょうか。

私が住む中東の一部の国では、
サービス業全般の方々に対して非常に横柄な態度を取る人が多くいます。
それは日本の豊かな土壌で、何一つ食べる事に苦労せず安全な暮らしの中で育った日本人からすると、常識を覆される衝撃的な光景です。
奴隷的な発想やマインドも個人の育ってきた環境と家庭の躾による所がかなり大きく影響していると想像できます。

つい最近のスシロー事件もそうです。
本来は親が教えるべき躾や教育を全て学校に任せてしまったが為に起きた事件なのではないでしょうか。
道徳とは何か?善悪とはどう言う事なのか?
そもそも自分とはどんな存在なのか?
そう言う事も分からずに便利なデジタルインタラクティブに頼り
サービスに甘え、何か問題があればとりあえず頭を下げる。
そして事件を起こしてしまった本人は、
ネット上に一生消せない実名や顔写真を公開され、
社会的な制裁を受け続けます。
けれどもそんな事で全てが丸く収まるような事はほとんどありません。

さて、話をインタラクティブと奴隷の発想に戻すと
私達が何気なく気軽に使っているデジタルインタラクティブは
人や物を奴隷のように扱ってしまう危険を大いに孕むツールである事を
頭の片隅にいつも置いておく必要があります。

オーダーに対して100%の返答率で返してくれる。
これを生身の人間同士のコミュニケーションでやろうとしたら
まずまともな人間関係は構築できません。
“お願いすればやってくれる”が前提の世の中になる程、
自分で考える思考力も衰え、人としても倫理に欠ける人格が形成されます。
答えの裏側にある真実や繊細な空気の読み、そして何より
人間本来の労りや優しさなども全て失われて行くでしょう。

心地良いサービスを提供してもらえると言う事は
オーダーする側もそれに値する人物である事が大前提です。
横柄に人や物を奴隷のように扱う人には、
真のサービス(正しい答え)を知る体験は訪れません。
家庭教育とは、そんな道徳的なインタラクティブ(双方向)をスムーズにする為の根本的な躾でもあります。

子供達の未来の為に何をどう正しく与え示して行くか?
親や大人達の民度と文化が問われる時代が既に始まっています。
便利と都合の良さは自分の中に常に存在する
非道徳的な発想を刺激しやすいもの。
だからこそ自分の頭で考え行動し、うまくいかない事も普通にあるんだなと
実体験を通して人生を豊かにして行く。
そんな実態のある体験を念頭に私自身も子育てに励もうと考える日々です。


グレイス

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