オリジナル ショートショート いつか、の、じけん 〜こんな晩〜
梅雨の晴れ間ではあったが、じっとりと汗ばむような晩だった。
急にねじ込まれた案件に何とかけりをつけ、私は夜の関内へと繰り出した。碁盤の目のように走っている路地は、わかりやすいはずなのだが、何度来ても迷ってしまう。
お目当てのバーへ行くつもりが、何度か通りを間違えているうちに、いつの間にか、私は新しくオープンしたバーの看板の前に佇んでいた。
『RAINBOW PATCHWORK』
風変わりな名前だなあ、という程度の印象だが、路面ではなく二階に位置しており、落ち着いて飲めそうだ。吸い込まれるように、私はその店の扉をくぐった。
『いらっしゃあ~い』
私より二つ三つ下くらいだろうか、中年男性のマスターが愛想よく出迎えてくれた。少々、愛想が良すぎるほどだ。
『お客さん、初めてかしら? うれし~い!』
あ、そういうことか、と理解する。店の名前も、そういうことか、と腑に落ちた。私はそのケはないが、ゲイの人を毛嫌いしているわけでもない。飲むのに関係ないか、と思いながら、私は腰を下ろした。
『まあ、オープン仕立てだから、ほとんど一見さんなんだけどねぇー。』
カラカラと笑いながら、マスター、いや、ママは言った。
『何になさいますぅ?』
『サイドカー、ロックで』
『はあ~い』
アイスピックで氷を砕く音が、店内に響く。客は私一人だ。
『うふふふ・・・』
『ちょっと変わった注文かな?』
『いや、んん〜……。 私が学生時代にナンパされた時のことを、思い出しちゃってぇ』
ママがヘネシーのボトルに手を伸ばすのを見て、この店、なかなか良いカクテルを作りそうじゃないか、と思いながら聞いていた。
『まだ、私が女装していたころね。 その人とバーに行ったら、これを頼んでいたことを、急に思い出しちゃった・・・』
彫の深く、整った顔立ちのママに向かって、
『いや、ママ、結構綺麗だったんじゃないの?』
などと、軽口をたたいた。
『まあ、そこそこびじんだったかもね!』
『お、自分で言うね~』
『まあ、微妙の微の方だけどねぇ〜!』
歳が近いこともあり、話しやすい雰囲気でもあったので、何とも言えない居心地の良さを覚え、初めて会ったとは思えないような気持ちになった。
レモンの酸味の効いたサイドカーをゆっくりと舐めながら、
『ショートタイムカクテルだけど、ゆっくり飲みたい時には、これだよね』
などとわかったような口を聞いても、ママは、
『そうそう。強いからね〜、サイドカーは~。』
などと合わせてくれて、どこまでも優しい。
『カラン』
と、飲み干したグラスに、氷の当たる音が響く。ゆっくり、しかし、深く酔いが回ってくる感覚が、心地よい。
『オレも若い時は、ナンパだなんだ、遊んだけどさ。でも、悪いことはできないよね、やっぱり』
『なあに? 遊んだ子に酷い目に遭わされたのぉ?』
『う〜ん、何というのかなあ。』
私は、グラスの底に溶け出してきた氷水で薄まったサイドカーを、クッと味わった。
『学生時代、こんな、梅雨時のじめじめした晩だった。』
一枚板のカウンターが、鈍く光っていた。
『その頃は大阪だったから、ミナミで見かけた、日本人離れした顔立ちのすごい美人に一目惚れして、ナンパしたんだけれど』
グラスにうっすらと浮かび上がっていた水滴を親指で拭き取りながら、私は外連味たっぷりにこう言った。
『それがなんと、上手くいったんだ!』
ママは黙ってボトルを拭きながら、聞いている。
「初対面だったけれど、すごくウマが合って。一杯だけ、といってバーに誘って飲んでいるうちに、どんどんいい雰囲気になってさ。』
仕事終わりの高揚感、居心地の良さ、酔いも手伝い、私は饒舌になっていた。
『顔立ちの割には押しに弱い娘で、その日のうちにそのままホテルへ連れこんで、さあ!!と思ったら、、、』
私は笑いを噛み殺しながら言った。
『男だったんだよ、その娘!!』
…ぶぅーんという、低いエアコンの音が店内に響いていた。
俯きながらグラスを拭いていたママは、ゆっくりと顔を上げ、全くの無表情でこちらを見据え、低く呟いた。
『………そう、こんな晩だったわね。』
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