好きが「好き」ではなくなったのはいつからだろう

今日、夢の中で英語を話す場面があったから少し思い出したことを。

幼稚園生時代。
幼稚園はインターナショナルスクールに通っていてそこではみんな英語を話していた。その当時は何の苦労もなくコミュニケーションが取れていた(らしい)。
お昼寝の前に映画とかアニメとかを見る時間があって、そこでみるチャーリーとチョコレート工場が大好きだった。あとパワーパフガールズとか。
この時、英語は生活の一部だったし、大好きだった。

小学生時代。
幼稚園の時に英語に触れていたおかげで小学校の英語の授業はとても簡単だった。授業でやる英語の歌や出てくる単語はほとんど知っていたが、退屈だった記憶はない。
フラッシュカードでみんなで発音したり、体を動かしながら歌ったりするのは大好きだった。あと英語をやる教室は靴を脱いで入るところで、カーペットがふわふわでそれも好きだった。

中学生時代。
中学の時の英語の授業も好きだった。その時の英語の先生の影響が大きかったこともあるが、教科の中で1番好きなのが英語だった。当時、One Direction が流行ってて私もハマっていた。曲を聞いては歌詞を見て、どんな意味か考えたり、歌えるようになるまでリピートしたり、歌詞をノートに書き出したりしていた。
1つすごく覚えてる思い出。
Ready to run という曲の中に”Wherever you are is the place I belong”という歌詞がある。何を言っているか意味はわかるが、当時の私はare とis が隣り合っていることが不可解すぎて頭の中が混乱していた。その時、英語の先生に質問しに行ったら当時の学年では習わない文法だったようだが、丁寧に答えていただき、納得することができた。しかもその時、理解できてとっても感動した。
そんなこともあり、英語は大好きだった。

高校時代。
私が思うに、ここら辺から大好きではなくなっていったような気がする。高校受験の時から薄々感じていたが、英語が受験科目としてしか見られなくなっていったからのように感じる。
私が通っていた高校は大学受験に力を入れていて、毎日ある小テストや授業の予習復習もたくさん出るような学校だった。半ば強制的に電車の中で単語を叩き込み、文法書を開いてできるようになるまで繰り返す。迫りくる小テスト。合格点に到達しないと再テスト。足りないと再々テスト。まだ足りないと再々々テスト。(今になるとそうやって覚え込むのも大切だと思うし、一つのやり方だとは思うが)
あと、少し違和感を感じた出来事がある。
高2の時に新しく赴任してきた先生が担任になって、生徒のことを知るために一人一人と面談をした時期があった。基本的には勉強面の話が多かったが、最後に部活とか趣味について話す時間があった。いろいろ趣味を話したが、その時もOne Direction が好きだったから曲を繰り返し聞いたり、覚えた歌詞を書いたりすることなども話した。しかし、先生から返ってきたのは「じゃあ、英語、得意なんだね」という言葉だった。細かいことを気にしすぎなのかもしれないが、好き(?)ではあったが得意という認識はなかったし、先生の中ではそう繋がるのか…と思った。

幼稚園時代、小学校時代ともに英語はコミュニケーションのためのものと思っていたのにギャップが大きかった。高校時代は受験のための英語しかやる時間がなく、コミュニケーションの英語はどんどん忘れていった。

大学時代。
大学でも英語は必修だった。しかし、大学の英語の授業は楽しかった。基本的にTOEIC対策の授業だったが、授業は全部英語で進められ、課題も全部英語だった(そういえば中高の英語の授業って日本語ばっかり使ってるよな、たまたま私がそういう学校に通っていたのかな)。1年生の時の英語の先生はほぼプレゼンテーションのみで成績を決めるイギリス人紳士の先生で、久しぶりに英語を話した気がする。でも忘却の彼方の自分の伝えたいことを伝えるコミュニケーションの英語。思うように話せなかった。
そんな中、クラスにめちゃくちゃ綺麗な英語を話す子がいた。聞いてみると帰国子女で、中学生の時までアメリカに住んでいたみたいだった。しかも高校生の時に出来るだけスピーキングが鈍らないように英語を話すようにしていたらしい。やっぱり話す機会が多い方がいいよなって思ったし、振り返ると中高の英語の授業ではがっつり話すだけの時間はなかったなと思う。

それがショックだったってこともあり、交換留学に行くことに決めた。英語はメインの理由ではないけれど、留学のついでに英語も綺麗に話せるようになればいいなくらいの感覚。

そう決めた後は必修以外の英語の科目も取りまくった。留学用の英語の授業とか心理学を学ぶ授業とか。留学の練習も兼ねて夏休みを利用してフィリピンに語学留学したりもした。そして本命の交換留学。

留学終わった後に英語に対する気持ちがまた変わったので、それは気が向いたらまた書こうかな。


振り返ってみると英語の種類(大きく分けるとコミュニケーション用か受験用か)が学年が上がるにつれて変わって行ったけど、私はコミュニケーションの英語が好きだったってことなんだと思う。
だから英語自体が好きではなくなったのではなく、好きな英語と好きではない英語があったということに気がつくことができた。

前好きだったのに今そうでもないなって思うものって飽き性の私には結構あるんだけど、ただ飽きただけではないものもあるかもしれないといういい気づきになった。

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