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やがて水に帰っていく — アイちゃんへ

8/24(土)〜8/28(水)までsame galleryにて開催したExhibition "Into the water"にお越しくださった方、関心を寄せてくださった方々、本当にありがとうございました。

このエキシビションは私にとって初めて自分の名前を冠したイベントとなり、とても新たな試みではありましたが、もし今後何かを発信していく場合にも、実際に時間を使ってまで足を運んでくださる方に作品を見ていただき、対話できる空間を持ててようやく完成する展示というスタイルは、今の私にはとても適したスタイルであると感じました。

展示会場にて配布していた制作・展示概要です。

制作について

今回、何故この作品を制作をしようと思ったかというと、端的にいうとそれは私が「とにかく人生に迷っていたから」でした。

いくつかのテキストやメディアで触れていますが、昨年入院を要する身体の困難に見舞われました。それは即時治療を要するものだったのですが、日々続いていく社会生活、即ち「仕事を休むため」に痛み止めを飲みながら関係各位へ根回しをし、どうにか問題が発生しないような仕組みを作り「申し訳ありません」と口にし続けてようやく休みを得て、治療を受け、歩く事もままならない疲弊した身体で男性患者が使うベッドに寝そべっている状態で「あなたの性別(心)を証明してください」と問われても何にも返答できない事に直面したあの時間は、複数のマイノリティー性を有していながらも、持ち前の前向きさと不屈さ、そして社会に真っ向から向き合い、どこか小器用に付き合いながら生きてきた私とは違う「あらゆる手段を持たなかったバースの私」から見た世界、即ち「現実」を教えてくれました。

本来、自分が全ての権利を所有しているはずの「自分の身体」の権利。しかしそれを全て所有、または奪い返すことのできないシステムの中で生きなくてはいけない人生において、このままの在り方で生きていてはいけない、その現実が変わらないにしても、まずは自分を生きるために「心に従う事」をしてみようと思い、何も決めることなく、仕事や様々な手段を一度手放してみようと思いました。

色々とハンデはありながらも、果敢に挑戦し、ようやく「普通」という免罪符を得たと思っていた私にとって、その立場を手放すこと、その営みを止める決意をする事は容易ではありませんでしたが、転職中にお話をしたとある企業の採用担当者の方から「永嶋さんは、今人生でいろんな変化が起きる時なんですね。永嶋さんが今まで我慢してきたり、制約を感じていた様々な経験をしっかりとご自身の目で見て、肌で感じて、満足いくまで体験してみてからでもいいのかもしれません。満足いくまで自由に生きて、身体も心も健やかにして、そしてまた働きたくなった時に、まだうちの会社の事を覚えていて、それで働きたいなと思ったら、また連絡してください」というなんとも温かい言葉をいただき、ようやくその固く握りしめた手を緩めることができました。

とはいえ、自分に対し「こんな私だから、人一倍立派でなくてはいけない」と長年言い聞かせてこともあり「少しだけでも働いておきたい」といった気持ちを捨て切れず、友達が働いていた飲食店のお手伝いをさせてもらいましたが、結局のところ、あの時の私には全ての事に手の力を緩める事が必要だったみたいで、たった数回の出勤で辞めさせて頂く事になりました。(いきなりだったのですが、詳しいことは何も聞かずに「ごうちゃんの心や健康は大丈夫なの?」と心配しながら送り出してくれました。本当にありがとうございます。)

心に従うためには

そんなこんなでたくさんの愛で私を送り出してくれた前職場のお客様たちに「心に従ってみます」なんて言って飛び出してみたものの「そもそも『心』ってどこにあるんだっけ?、『心』ってなんだっけ?」と、自由とは程遠く、心という自分の声に耳を澄ませても何も聞こえない日々が2ヶ月ほど続き、自分という存在にいい加減辟易としてきた頃、いきなり雷に打たれたように「個展をやろう」というひらめきが舞い降り、そこからは日々制作で(心が)より慌ただしくなり、約半年の制作期間を経て、ようやく開催にこぎ着けました。

私には分かりやすい肩書きがありません。あえて言うなら前職場の同僚がつけてくれた「保健室の先生」が一番しっくりきているかもしれません。けれど、教員免許や保健師の資格を持っているわけでもないわけですから、そんな虚偽の肩書きを使うわけにもいきません。

今までの私は少しばかりそのことを気にしていて、分かりやすく、かつ華々しい肩書きを持つ友人たちに私の事を紹介してもらう時「なんか詩集とか出してる、文章書いたりしてる子」という絶妙にふわっとした「肩書き」というか「肩ふわ」みたいなものが付いてくる事を実は内心コンプレックスに感じていました。

多くの人にとって、私と「言葉」はリンクしたイメージみたいなのですが、言語化できない体験を通じて「言葉って結構邪魔な存在でもあるな」と思い始めていたこともあって、その「肩ふわ」を取り除きたく、テキストだけではない形で作品を制作しようと思い、渋谷PARCO時代に開催したイベントでキュレーションさせてもらったTastyのANNOちゃんに声をかけて、今回の展示用に一緒に曲を作り始めました。

自分自身=心、心=水として、様々な表現方法で制作に取り組んだ今回の展示を通じて、今現在の私は、アーティストでも、クリエイターでも、立派でいなくても良くて「ただの私でいいんだ」というかなり単純な結論に至っています。

状況や、温度に応じて名前もあり方も変わる水のように。

言葉にしないと伝わらないこと、言葉がなくても知っていたこと

3日目以降、展示に足を運んでくださった皆さんにはお話したかもしれませんが、今回の作品には、私の父(アイちゃん)がとても大きく関わっています。父と私の関係性がふんわりと理解できそうなテキストを何度か書いているのでよければ読んでみてください。

父と私は互いに正反対の性質を持っている人間です。父が太陽なら私は月。父が赤なら私は青。けれど、私はそんなことはあんまり気に留めていなく、父という存在のこともあまり気にかけていませんでした。

私は4人兄弟の真ん中っ子で、基本的に自分の行動は放っておいてほしいタイプ。(入院した時も面会に来ないでと言っていました。笑)そんな生まれついた順番も影響してか、もともと家族という共同体への興味が薄い子でしたが、自分の居場所を小さく感じられる小さな世界を家の外に作っていく度、その感覚はどんどん増していきました。

今回の制作を通じて、私という人間はどれだけ様々な運や縁に恵まれ、さらにはどれだけ小賢しく小器用に生きてきたのだろうと思うほどに、様々な障壁にぶつかりました。もう、本当に何もかも上手くいきませんでした。

当然、制作で課題にぶつかっていた=メインである本や展示物の印刷でも色々と課題に直面していたのですが、新卒で入社した会社で40年以上印刷業に従事してきた(あまり知らなかった)父がそのことを聞きつけて、20年以上懇意にしている印刷会社の方と含めて打ち合わせを組んでくれて、あっという間に本やパネルを作ってくれました。

そして設営の前日、始まる実感もなく(明日1人で設営するのか…)とリビングでボーっとしていたところに酔っ払った父が帰ってきて「これまで色々あったと思うし、俺も全部を理解できているわけじゃないけど、こういった形で何かを発信する術を身につけて、誰かのためになる事をやっている君のことを俺は誇らしく思うし、俺が少しでもそれに協力できることは嬉しい」と声をかけてくれました。(酔っ払っていたのでおそらく本人は覚えていません)

(テキストだと素敵に見えますが、本当はもっとへべれけで、ジブリに出てくる素敵なお父さんみたく「君」とは言っていません笑)

そんな父が脳出血で倒れ「ここ2日の出血状況が勝負どころで、もしかしたら最悪のケースもあるかもしれない」という母からの連絡に気づいたのは、展示2日目の夜。幼馴染のそらと様々な胸が熱くなるような話をして、美味しいご飯をたらふく食べていたら終電を逃し、2人で自転車に乗って帰ろうとしている時でした。

まだ十分に喋れなかった頃、父コウゾウのことをアイちゃんと呼んでいたみたいです。なぜ。

展示3日目。母や妹が父の様子を見に行くためにバタバタと準備するのを横目に、今回の制作を通じて知り合った父の友人や同僚の方に父が倒れたことを連絡し、約1時間かけて会場に向かいました。父のことが気がかりでなかったわけではありませんが、そうすることがベストに思えました。

夕方にはお見舞いがてら印刷を担当してくださった成井さんが、父と様々な現場を共にしてきたであろう元同僚の方々を連れて展示を見にきてくださって、ぽつりぽつりと、皆さんにとっての父の存在がどんな存在かをお話してくださいました。

「社会人になってから出会った人間の中で一番信頼できる人」
「本当にいろんな事を教わった、足元にも及ばない大先輩」
「いないと会社が回らない」
「誰よりも誠実で嘘のない男」

と、私の知らない父の一面を聞くたび、少し意外で「クスッ」ときながらも(こんな事言っているけど、この人たちもその気持ちを父に伝えていないんだろうな…)とも冷静に思い、不謹慎でもなんでもなく、なんだかまるで弔辞を読み上げているような、生前葬が行われているようにも思えました。

私が今回ANNOちゃんと作った曲の歌詞の中に"My heart already knew it like water, That's moving inside of me"という歌詞があります。前半部分は私が書いて、後半の"That's moving inside of me"という美しいパートはANNOちゃんが音数合わせで付け足してくれました。

直訳すると「私の心は水のようにそれを既に知っていた。それは私の中で動いている」という意味なのですが、様々な思いを込めて私なりに意訳すると「私は、私の事を何が動かしているか既に知っていた」という意味になります。展示会場では、この歌詞を書いたポストイットとともに、私の幼少期の写真を置いていました。

様々な写真があるのですが、どの写真の私も本当にイキイキとしています。しかし年齢を重ねるごとに、私は写真を撮られることを苦手とし始めます。

私たちは、人生を生きていく上で、あらゆる制約と無関係でいること、それらから逃れることは決してできません。どんなにバイアスを外そうと思っても、私たちはかなりの割合で視覚情報やそれに紐づく偏見に依存しています。例えば私は「外国人」に見える人に対し「どこの国の人なんですか」と、知っても何の得にもならない、むしろ尋ねたら相手が嫌な気持ちになるかもしれないという意味では損しかない情報を尋ねたくなります。しかしその人は、日本生まれ、日本育ちの日本語話者で、中身は日本人かもしれないのです。その切ないすれ違いや、他者であることで生じる無理解や「結果としての不親切」を、私たちは日々できる限り意識し、どうにか受け止め合いながら、時には受け流しながら生きるしかありません。

しかしそれと同時に、人を身体や単なる視覚情報でジャッジする事もなく、表情や言葉の奥にある感情を勘ぐったり疑ったりする必要もなく、笑顔で写っている写真があれば、絶対に何らかの喜びの感情の中にいて、身体というツールの制約を受けず、心の全てが他者や世界に発露している、どんな偏屈で最低な人でも、心という水の声に従って生きていた、そんな時代を通ってきた事もまた事実で、私たちはいつだって、自分次第でその自由な心に「戻ろうとする事が出来る」ことも、改めて理解できたのです。

本の最後のあとがき「水の声が聞こえる」では、そんな「心と身体」「生と死」について「自由な水の漂いから、それぞれ身体という波形を有し、そして水に戻る」と表現しています。

話を父の話に戻します。

「アイちゃん」へ

父、アイちゃんはこの65年間、自然とその水の声に従って生きてきた人なのだと思います。

そんな事を言うと「俺にだって色々あったよ!」と目を丸くして、口を尖らせて私に話しかけるアイちゃんの顔が浮かびます。私ももうそろそろ27歳で、社会でいうところの「大人」だから、アイちゃんにとって私がどれだけ「自分の子」である事が変わらなくても、家では仕事の事を話さず、愚痴をこぼさず、休まず、毎日会社に向かった先で起きるアイちゃんの生活の中で、日々色々な事が起きていたであろうことは想像に難くありません。

今もなお病院のベッドで過ごすアイちゃんとの今の所の最後の会話は「俺は90歳、いや、100歳まで生きる!」という突拍子もない会話でした。

生を手放すことはしなくても、生を握って離さないわけでもない「波の形〜」という少し現実離れした死生観を持って(この波のお話は仏教に由来するお話です)生きている私は、アイちゃんのその言葉に思わず笑ってしまいました。

アイちゃんは今65歳です。そんなアイちゃんに「別に100歳まで生きてもいいけど、あと約40年どう過ごしていくつもり?」と尋ねたら、アイちゃんは「美味しいご飯を食べて、美味い酒を飲んで、本を読んで、ギター弾くんだ」と言いました。

これから先、自分の身体が衰えていくことや、住まいやお金などのこれからの生活への不安、「早く孫を見たい」といった、私を含む4人の子供たちへの要求、そんなことが微塵も頭によぎっていないかのような、自分の中に動く心の、漂う水の声にしっかりと耳を澄ませて生きるアイちゃんの姿は、父であることは無関係に、本当にキラキラして思えます。

アイちゃん。私がこういう話をしたら「難しいことはわからん」と匙を投げるあなたは、私があらゆる小道をたどり、あらゆる山を登って、あらゆる水に潜って、懸命に探して辿り着いた答えを、みんなが生まれた時から知っているはずの、でも気づかないうちに手放して見失ってしまうその答えをずっと見失わず、喜んだ顔をしていたら、きっと必ず喜びの中にいて、怒った顔をしたら必ず怒っていて、悲しい顔をしていたら必ず悲しい、そんな風に真っ直ぐ生きてきたんだね。

社会において。例に挙げるなら恋愛において。私であれば様々な事を考えて1つの感情表現をします。本当は類稀なほどに真っ直ぐで、覚悟の伴った強く深い愛を持っていることを自分でも知っているのに、成長段階で覚えてしまった制約、自分の身体の在り方や、かけられた言葉に苦しんだせいで、心を上手く発露出来ず、ぎこちない関わり方しかできずに、自分のキラキラした愛に溢れた気持ちを知られたくも、これ以上奪われて傷つけられたくないと塞いでしまう私にとって、あなたという嘘みたく真っ直ぐな存在は希望のように思えます。

そんなアイちゃんが「身体の死」を迎えるかもしれないと知った時、きっとそんな風に生きてきても少しは受けてきたであろうこの「身体」への制約から解き放たれて、アイちゃんはさらなる自由に帰っていくだけなんだと、私はすぐに理解できました。悲しくはなかった。

この作品の制作や展示期間を通じて、私たちが本来どれだけ自由な存在であるかを事実として理解しても、この身体を有して生きている限り、私たちが何らかの苦しみに苛まれ続ける現実は変わっていません。それは私たちを不安にさせ、悩ませ、悲しませ、争わせ、対立させる。

この世界には、何百年かけても未だ解決しない山積みの課題があり、そして毎日のようにさらなる課題が積まれていき、それらがとても複雑に絡み合い、解決の糸口を見つけることが困難な事ばかりです。しかしそれに対し私たちはその事実に対し、この人生を通じていつも立ち向かい、戦い、譲ったり譲らなかったりしながら、共にその不条理に泣いたり、時に共に見つける解決に喜べばいいだけなのだと、今の私は理解しています。

明日からも変わらず、すぐに解き放たれることない多くの制約を抱えて、いつ終わるかも分からない人生を、今できる限り自由に生きて、いつも心の自由のために戦っていけばいい。

理解し合えないことに悲しむことなく、毎日毎日、弔辞を読むような気持ちで。

水の声に耳を澄ませて。

展示を経て、これからどうなるかな〜って言わなくなりました。

P.S.アイちゃんは回復傾向にあるみたいです

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