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オリンピックは我々を幸せにしてくれるのか

UTokyo OpenCourseWare という東京大学の講義を公開しているプロジェクトがYouTubeでも一部動画を公開していて、下記の納富先生の講義がオススメに出てきたので視聴した。とても面白かった。

この後半の動画でも言及されているのだけれど、ソークラテースが告発を受けた際の裁判は、「有罪かどうか」を判断する第一部と「有罪であるならばどういった罪が適当か」を判断する第二部とに分かれていて、第一部で有罪の評決を得たソークラテースは、今度は自分に相応しい罰を申し出る。(原告側は死刑を求刑しているので、一般的には多額の罰金だとか、自ら亡命などを申し出て、死刑を免れようとするところなのだが)

 さて、私はこういった人間なのですが、一体何を受けるのに値するのでしょう。なにか善きものでしょう、アテナイの皆さん。もし真に値するものに応じて刑罰を申し出るべきならば。それも、私に相応しい、そんな善きものなのです。
 では、貧乏にもかかわらず、あなた方に勧告するために暇を得る必要があるような、そんな貢献者には、何が相応しいのでしょう。アテナイの皆さん、こんな男には、プリュタネイオンの会堂で食事に与る権利、それ以上に相応しいことはありません。あなた方のだれかが、馬や、二頭立てあるいは四頭立ての馬車で、オリュンピアの競技会で勝利を収めた時より、もっとずっと相応しいのです。その理由は、競技会の優勝者は皆さんを幸せであると思わせてくれますが、私は実際に幸せにするのであり、また、彼らは養ってもらう必要などないのに、私はそれを必要としているからです。
 ですから、もし正義にそくして私に値する刑罰を求めるべきなら、これを申し出ます。つまり、プリュタネイオンでの食事です。
 プラトーン『ソークラテースの弁明』36c-37a(納富訳)
 ※太字部分は引用元では傍点

ここであえて馬を使った競技だけが殊更に言及されているのか、ということについては、先にあげた納富先生の解説をぜひ聞いてほしいけれど、(自分自身ではなく)同郷の競技者の優勝が幸せであると思わせてくれるというのは古今東西変わらないのかもしれないなぁ、とやけにリアリティを感じるようになってしまった。あるいは、実感するのはこれからなのかもしれないけれど。

さて現代でもオリンピック競技者が幸せであると思わせてくれるとして、現代の我々を幸せにしてくれるソークラテースはいるのだろうか。

上の動画2本はそれぞれ95分でなかなかの長尺(と言っても大学の講義一回分だけど)なので、あまり馴染みがない人は、やはり納富先生が高校生向けに話している次の動画の方が入りやすいかもしれない。大人でも十分に楽しい。

真実を語っても、どうか私に怒りを向けないでください。皆さんや民衆に対して正当に異議を唱え、ポリスで多くの不正や違法行為が生じるのを阻止して生き残ることができるような人間は、誰もいないのです。
プラトーン『ソークラテースの弁明』31e(納富訳)

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