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鏡地獄

こんにちは僕です
なんだか個展終わってからまぁふにゃふにゃ生きてるんですが終わってからというものの安息という安息が無いというか上手に孤独と向き合えておらずこの場をお借りしてちょっとだけ扉を開けつつ孤独に向き合おうと想います
なんだかんだで毎度情緒不安定なのは日常なんですけどもうなんだか振れ幅が凄くて気付いたら自殺の方法とか朝目覚めると検索していたんだと
そろそろ末期なのでちゃんと整理整頓しないとよくないです
日常が非日常すぎて普通が普通じゃなくてただその矛盾の波に身を任せていればいいのだけれど僕はそうもいかず久々に過去の日記とか久々に開いて色々葛藤してるなとか自己回帰してみたり
もしよかったら
相当恥ずかしい奴だなこりゃ
http://gotoyuricablog.tumblr.com
なんでこんな事考えてたんだろうって別人格だわなんて感じたり
2〜3年前かな
色々自分を媒体に人体実験を施してるんだけれど一つに羞恥心の排除っていう名目を遂行した時期があった
アダムとイヴの話でもあるけれど神様がプレゼントしてくれた罰と向かい合おうって誓った
その時に気付いたのが人は羞恥心が無ければ動物的にフットワーク軽くなるなって
全部は排除しかねたけれど
なんの話をしているのかわからなくなってきたからどうしようかなとか
なんだかいつも焦燥感に駆られてる割にわからない事があると立ち止まってしまいがちだし盲目になりがちで正直疲れた
いつもの自分だったらこうであるって選択肢が反転して掴んでいてそれを把握したからこそじゃあ反対側って掴むと凄く美味しくなくてじゃあどっち?ってなるし
そう、処女作のRe:Bornのレビューをヴァニラ画廊の敬愛しているスタッフ様に描いて頂いた時にR.D.レイン様教えて頂き最近は片っ端から研究しているんだけれど「実存」というか「実存主義」について考察研究実験していて事実とは?とか現実とか?
結局私は誰かのイメージでしか無いし形はあるけれど空虚さとか他者がイメージの構成した二次的なあってないようなもんが私だとか
そうしたら演じてその上に演じてまた演じてとかして試行錯誤してたら目覚めて自殺サイトだったり
街中が歩く人達生きる尸ゾンビ!って半笑いした自分見たら私もお揃いだったし
絶望過ぎだし
結局ミサンドリーが復活してきそうだし
全部壊れてしまえと結果想うのです
最初から何も無かったら創造しなければこんな感情なんて生まれないし
本当に申し訳ないけれどまだ私を生んでくれた両親や自分を怨んでいるし憎んでいる
子供には生まれたいって意志がない
意志がない創作には想いがない
想いがある創作には意志がある
時空もそうだよ
今自覚するこの瞬間さへ自分で創っている
そう生活して呼吸したら環境に害だとか歩いたら微生物殺してるとか色々イメージしてたら自分の浅ましさや卑劣下品で不潔で結局作品創作してる私自身がクズだと結論に至り
生きる価値が不明瞭になってたみたいです
はぁ、呼吸できた!
少しでも世界にありがとうって出来るように行動したいです

どうしたら肉眼で私自身と見つめ合えるのだろうか?
今、鏡がとても怖いです

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