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みかんの色の野球チーム・連載第27回

第3部 「事件の冬」 その10
 
 
 別れは、突然やって来た。
 1月23日の月曜日。1時間目の授業の始まる前。
 平林先生の口から出た知らせに、私は耳を疑った。
「深大寺ユカリさんが、東京の小学校に転校しました」
 冗談かと思った。だが、冗談を言うような先生ではなかった。
「先週の火曜日に退院したユカリさんは、金曜日にお母さんと東京へ帰って行きました。実は、水曜日の夕方に、お母さんが転校の手続きをしに職員室にお見えになったのですが、クラスの皆さんには週が明けるまで内緒にしてほしいとおっしゃいました。そういう理由があったので、今こうして、先生から皆さんに、初めてお知らせをしている訳なのです。卒業を前にしてクラスの仲間がいなくなったのはとても寂しいことですが、深大寺さんは今日から東京の学校に元気に通っているはずです。皆さんも、小学校時代の残りの日々を、ユカリさんと同じように元気に過ごしましょう」
 
 昼休み。
 私は校庭へは出ずに、教室に1人残って、座っていた。
 ユカリが、いなくなった。
 津久見から、いなくなった。
 東京へ、転校して行った。
 時間が経つに連れて、先生から聞かされたことが、私の中で、現実としての重みを増していった。
 
 放課後。
 私はいつもの仲間たちとは遊ばずに、1人で家路を歩いていた。
 どうして、ユカリは、いなくなったのだろう。
 どうして、ユカリは、津久見からいなくなったのだろう。
 どうして、ユカリは、東京へ転校して行ったのだろう。
 それが、あの失踪事件と関係していることは、私にも分かっていた。
 娘をこれ以上危ない目に遭わせてはならないという、両親の配慮によるものであろうということも、しだいに分かってきた。
 東京の生活に戻りたいという娘の強い思いを、両親が心を痛めるほどに認識し、それを受け入れた結果がこうなのだということも、だんだんと分かってきた。
 でも、どうしてユカリは、いなくなってしまったのだろう。
 さようならも言わないで。
 
 夜になっても、布団の中で、私は彼女のことを考えていた。
 東京に戻ったユカリは、もう、おじいちゃんやおばあちゃんたちと再会したのだろうか。
 いとこたちとも、再会したのだろうか。
 友だちとも、再会したのだろうか。
 1年半ぶりに、デパートに、出かけるのだろうか。
 東京タワーにも、昇るのだろうか。
 遊園地にも、遊びに行くのだろうか。
 これから、東京のどこかの中学校に入学して、それから、コマバとかヒビヤとかの高校へ進学して、その後は、東大で勉強をして、将来は、偉い人間になるのだろうか。
 ユカリが望んでいた、いろいろな事柄は、津久見にいたままでは叶わないことばかりだ。
 東京にいなければ、実現できないことばかりだ。
 そして彼女は、東京へ戻った。
 そして彼女は、いろいろな望みを実現できる。
 つまり、東京の生活に戻ったということは、彼女にとって、とても良いことなのだ。
 とても、喜ばしいことなのだ。
 だから、私も、それを喜んであげなくてはいけないのだ。
 それを私ができないのは、彼女のこれからを喜んであげたいという気持ちよりも、彼女がいなくなったことを悲しく思ったり寂しく思ったりしている今の気持ちの方が、はるかに強いからなのだ。
 
 枕元の時計の針が午前零時を回ったころ、心の中はぐちゃぐちゃのまま、私の頭の中は、だんだんと整理されていった。
 そして、ユカリが彦岳の山中であのオレンジ色の人形を失くしたことを思い出し、今となっては彼女と自分をつなぐものがこの世に1つも存在しなくなったことに気づいたとき、私は自分の初恋が終わったことを知った。
 
 
 
(※注)今回の(注)は、ありません。


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