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みかんの色の野球チーム・連載第20回

第3部 「事件の冬」 その3
 
 
 1月9日の月曜日、第3学期が始まった。
 いつものようにブッチンが通学の誘いに立ち寄り、いつものように私たち2人は、でこぼこの道を歩いていった。
「短えかったのう、冬休み」
 ブッチンがそう言い、
「たったの2週間じゃったけんのう」
 私が応じた。
 たしかに短い休みではあったが、その期間にはとてもショッキングな体験をした。
 高木先生と飲み屋の女の人から聞いた、ブッチンの父親のこと。
 ダイナマイトの事故で、左手の指をすべて失ったこと。
 それで矢倉セメントでの勤務を辞め、酒びたりになってしまったこと。
 マユミという名前の飲み屋の女の人と、駆け落ちをしたこと。
 ブッチンと母親を捨てて、大阪へ行ってしまったこと。
 今から7年前、当時5歳だったブッチンは、この悲惨な出来事について、どれくらいを憶え、どれくらいを知っているのだろうか?
 父親の顔を、彼は記憶しているのだろうか?
 父親がいなくなったのが駆け落ちのためであることを、その行き先が大阪であることを、知っているのだろうか、彼は? 彼の母親は?
 だが、少なくとも発破の事故の一件に関しては、ブッチンは知っているのに違いない。
 あの、夏休みの、臨時登校日。ユカリとの激しい口論の中に、石灰石の採掘現場の話を持ちこんだのは、自分の父親に大ケガを負わせた会社に対する強い恨みと憎しみを、今も彼が抱き続けているからだと私は確信していた。
「どげえしたんか、タイ坊。さっきから黙ってばかりで」
 ふとブッチンが口を開き、
「え? いやいや、別に……」
 言葉を濁した私だが、自分の心の中を相手に悟られてはまずいと思い、冗談でも口にすることにした。
「ところでのう、ブッチン」
「うん?」
「おまえ、今日、学校に行くんが楽しみじゃろ」
「なんで?」
「2週間ぶりに会えるけんのう、山本佳代子に」
 その名前を言い終わらぬうちに、ブッチンが私の頭をポカリとやった。
「いててっ」
 思いのほか強く叩かれたのは、もちろん私が彼の本心を衝いたからだった。
「なに言いよるんか」
 ブッチンは顔をやや赤らめ、ふくれっ面をし、
「おまえこそ、あの東京もんに会いてえんじゃねえんか。まさかとは思うけどのう」
 私の本心を衝いて返した。
 
 この学期もまた、新しい学級委員長選びで幕を開けた。
 1時間目の、ホームルーム。
「立候補する者は、手を挙げて」
 福山先生の毎度の言葉に、すばやく反応したのは、前委員長の山本佳代子だった。
「山本の他に、立候補する者は?」
 挙手をした佳代子をちらっと見やり、先生は言葉を続けた。
 だが、それに反応する人物はいなかった。
「他に、立候補する者はっ?」
 それでもなお、ヒゲタワシは声を出し続けた。その声は、かなり苛立たしげで、視線は深大寺ユカリの席へ注がれていたが、彼女はじっと座ったままだった。
 私はすでに気づいていたのだが、今朝のユカリは、どこか冴えない表情をしている。
 前期の選挙での思わぬ敗戦の屈辱が、彼女の脳裏によみがえったのだろうか。それとも、東京での冬休みに、何か良からぬことでも起こったのだろうか。
 そんなことを考えていると、
「それでは、第3学期の学級委員長は、山本佳代子に決定」
 やや落胆した口調で、ヒゲタワシが言った。
 対照的に、満面笑みの佳代子は、
「小学校の最後の2か月半、いっしょに楽しく勉強して、いっしょに楽しく遊んで、将来いい思い出になる毎日にしましょう!」
 元気いっぱいの就任挨拶をした。
クラスメートたちの間から、鳴り響く拍手。嬉しそうに両手を叩き合わせるブッチンの動作は、ひときわ大きかった。
 
 給食が終わって、昼休み。
2期連続して学級委員長の座に輝いた佳代子を先頭に、6年3組の生徒たちは勢いよく校庭へ飛び出していった。
 イチョウの木々はすっかり裸になり、きれいに掃除をされた植えこみの中や周囲には、もはや1枚の葉っぱも1粒のギンナンも落ちていない。風の冷たさだけを除けば、とても快適な環境で、心置きなくドッジボールが楽しめるのだ。
 だが、ボールを投げ合いながらコートの上を走り回っているクラスメートたちの人数は、38名。残りの2名は、教室の中にいた。
 それは、ユカリと私だ。
今朝からまるで元気のない様子の、ユカリ。その理由を知りたくて、また東京の土産話を聞きたくて、私は彼女の席へ歩み寄った。
 机の横に掛けられたピンクのランドセルの左側に、ちゃんと「つく美ちゃん」がぶら下がっているのを見つけて、安心し、私は声をかけた。
「明けまして、おめでとう」
「あ……、おめでとう……」
「どげえじゃった、東京は?」
「…………」
「じいちゃんやばあちゃんたちに、会うた?」
「…………」
「いとこたちは、元気にしちょった?」
「…………」
「友だちと、遊んだ? 何して、遊んだ?」
「…………」
 矢継ぎ早に問いかけをした、私。だが、ユカリから言葉は返ってこない。相変わらず、浮かない表情のままだ。どうしたのだろう? 体の具合でも悪いのだろうか?
 それでも、久しぶりに彼女と再会した嬉しさが、私にさらなる質問を促した。
「デパートには、行った? カレーライス、食べた?」
「…………」
「遊園地は、どうじゃった? ゴーカート、乗った?」
「…………」
「東京タワー、昇った? 望遠鏡、覗いた?」
「…………」
「地下鉄は、どげえじゃった? モノレールにも乗ったんじゃろ?」
「…………」
 やはり、返事はない。ほんとうに、どうしたのだろう?。あんなに喜んでいた東京帰りだったのに。
 無言の連続に、私は戸惑い、どうしたら良いのか判らぬまま、立ち尽くしていた。
 すると、やっと、重たげに、ユカリが口を開いた。聞き取るのが難しいくらい、小さな声で。
「東京には、帰らなかったの……」
「えっ……」
「ママが病気になって、帰れなかったの……」
「…………」
「ママがインフルエンザに罹って、40度も熱を出して、寝こんでしまったの……」
「…………」
「お医者さまを呼んで、注射を打ってもらって、薬をもらって飲んだけど、ぜんぜん良くならなかったの……」
「…………」
「冬休みに入る前の日から、ずっとベッドに寝たきりだったの……」
「…………」
「パパと私の2人で東京に帰ればいいって、ママはそう言ったけど、パパが反対したの。病人を置いたまま東京に帰るなんて、そんなことはできないって……」
「…………」
「だから、東京に帰るのは、取りやめになったの。だから、飛行機のチケットも、キャンセルしたの……」(※注)
「…………」
「ママの病気が、やっと治ったのは、お正月を過ぎてからだったの。パパのお仕事が、始まった日に、やっとママは良くなったの……」
「…………」
「だから、もう、間に合わなかったの。東京に帰るのには、間に合わなかったの……」
「…………」
「私、とっても楽しみにしていたの。おじいちゃんやおばあちゃんたちに会えるって……」
「…………」
「いとこたちにも、会えるって……」
「…………」
「お友だちにも、会えるって……」
「…………」
「デパートにも、東京タワーにも、遊園地にも行けるって……」
「…………」
「くやしい……」
「…………」
 か細い声を聞きながら、ただ立ち尽くしているだけの、私。
 その目の前で、ユカリは泣き出した。
 涙を止める言葉を、かけてあげることが、私にはできなかった。
 
 

 
(※注)当時の大分空港は、津久見から列車で1時間ほどの大分市の中心部にあった。その後の市街地の開発に伴って4年後の1971年に、県の北東部に位置する国東市に移転し、現在に至っている。なお、この頃の東京への旅は、空路よりもブルートレインの方が一般的だった(博多駅や小倉駅から新幹線が利用できるようになったのは、1975年)。


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