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みかんの色の野球チーム・連載第14回

第2部 「連戦の秋」 その6
 
 
 私は、椅子を引き、立ち上がり、靴を履いたまま、椅子の上に跳び乗った。
 そしてネクタイをブレザーから引き出すと、みんなに見せながら大声で言った。
「おまえどー、このネクタイの色が、何の色なんかを知っちょるか! このネクタイの色はのう、津久見の名産の、みかんの色じゃあ! おまえどーの側の畑にも、俺どーの側の畑にも、いっぱい実が成る、名産みかんの、オレンジ色じゃあ!」 
 靴を履いたままの両足で椅子の上に立ち、興奮で顔を真っ赤にし、店じゅうに響き渡る大音声を張り上げる私を、みんなは黙って見つめている。敵対する6人の招待客たちも、ユカリの父親も、母親も、ユカリ本人も。また、店に勤める従業員たちも。
 私は、ダブルに仕上げたズボンの裾を、両膝の上までたくし上げ、2本の足にフィットしたオレンジソックスをみんなに見せながら、さらに続けた。
「おまえどー、この靴下の色が、何の色なんかを知っちょるか! この靴下の色はのう、4万の市民たちが誇りに思うちょる、津久見高校野球部のユニフォームの、ストッキングの色じゃあ! おまえどーの側の人たちも、俺どーの側の人たちも、みんなでいっしょに応援しよる、津高野球部のストッキングの色じゃあ! おまえどーの側の畑にも、俺どーの側の畑にも、同じように実をつける、津久見の名産みかんの色から採った、津高野球部のオレンジソックスがこれじゃあ!」
 自分の発する大声の話の内容が、ちゃんとした論理の筋道に沿ったものであるのかどうか、そんなことは私には分からなかった。ただただ、自分の気持ちを伝えたい。自分の心の中にあるものを、思いっきり吐き出したい。その衝動が続く限り、私はしゃべりまくるつもりだった。
「おまえどーの側にある津久見二中からも、俺どーの側にある津久見一中からも、大勢の卒業生たちが津高に入って、野球部に入って、猛練習を積んで、上手うなって、試合に出て、活躍しよる! みんなで力を合わせて、いっしょうけんめいプレーをして、県南リーグで優勝して、中央大会でも準優勝して、こないだの九州大会の県予選では大分商に完封勝ちして、優勝じゃあ! もうすぐ国体もあるし、来月の九州大会でベスト4以上に勝ち上がったら、センバツ大会に出場じゃあ! 夏の甲子園にはこれまで5回行っちょるけど、春の甲子園は初めてじゃあ! みんなで力を合わせて、センバツ初出場に向こうて行くんじゃあ! おまえどーの側とか、俺どーの側とか、そげなことは全然、関係無えんじゃあ! みんなで、いっしょになって、センバツ甲子園に行くんじゃあ! 津久見じゅうが一つになって、みんなでいっしょに、甲子園に行くんじゃあ!」
 夢中で演説を続ける私は、思わず右手の握りこぶしを振り上げ、その弾みでバランスを崩して、椅子から転げ落ちてしまった。
 いててててててっ。石張りの床に、背中をしたたかに打ちつけた私は、しばらくの間、身動きができなかった。
 それから、ようやくして上半身を起こし、テーブルの縁に両手をかけて立ち上がろうとした、そのとき。
 聞こえてきたのだ、拍手の音が。
 それまで黙って私の大声を聞いていた、聴衆たちから。
 ユカリから。
 父親から。
 母親から。
 店の従業員たちから。
 そして、ひときわ高い拍手の音が、6人のゲストたちの間から。
 みんなで両手を叩き合わせる嵐のような音響は、いっこうに鳴り止む気配がなく、思いも寄らなかったこの出来事は、床から立ち上がったばかりの私に、背中の痛みをすっかり忘れさせてくれた。
 
 それから先は、楽しいパーティーの真っ盛り。
 ケーキを切り分けてみんなで食べ、ジュウジュウと焼きたての音を立てる柔らかいビーフステーキを堪能し、揚げたてアツアツのチキンも、パリパリと香ばしいコッペパンも、ポテトがたっぷり入ったサラダも、とろけるような舌触りのアイスクリームも、残すことなくきれいに平らげた。自分の胃袋にこんなにたくさんの食べ物が収まるのかと心配する暇もないほど、次から次へと出てくる料理のすべてが抜群に美味しかった。
 食欲に負けないくらい、会話も弾んだ。
 津久見小学校と、青江小学校。お互いの学校に、どんな先生がいて、どんな授業をしているのか。お昼休みや放課後には、何をして遊んでいるのか。そっくりなところもあり、まったく異なることも多くて、興味は尽きず、話は止まらなかった。
 とりわけ私が強く惹かれたのは、生まれてから11年間を過ごした、東京でのユカリの思い出話だ。
 たくさんの買い物客で賑わう、大きなデパート。いつも動いている、エスカレーターや、エレベーター。空高く上げられた、アドバルーン。1日じゅういても飽きない、オモチャ売場。レストランでの好物だった、カレーライス、ハヤシライス、お子様ランチ。
 たくさんの家族連れが集まる、遊園地。父親といっしょに乗った、ゴーカート。母親といっしょに回った、メリーゴーランド。家族みんなでスリルを味わった、ジェットコースターや、観覧車や、お化け屋敷。いろんな形のプールは、夏の楽しみ。(※注)
 たくさんの建物が小さく見える、東京タワーの展望台。道路を走る自動車は、ほとんど豆粒のよう。すぐ近くには海が広がり、その向こうには長い山影が連なっている。望遠鏡を覗くと、遠くのものが目の前に飛びこんできた。
 たくさんの乗り物が走る、東京の街。地面の上や下を、色とりどりの電車が行き来する。バスや自動車と並んで進む、路面電車。モノレールに乗ると、でっかい空港に着き、そこから飛行機に乗り換えて、ユカリは津久見にやって来た。
 
 楽しかったパーティーも、そろそろお開き。
 お誕生日おめでとうの気持ちを、もう一度こめて、7人のゲストたちからプレゼントの贈呈が始まった。
 まず最初に、2人の女子から。これから寒くなるので風邪を引かないようにと、手分けをして編んだ、毛糸のマフラーと手袋。
「あーっ! どうもありがとう!」
 冬が来るのが楽しみとばかり、ユカリの顔はニコニコしている。
 続いて、4人の男子から。それぞれが貯金箱の中からお金を出し合って買った、24色の色鉛筆セット。
「うわーっ! どうもありがとう!」
 さっそくスケッチブックに何か描こうと、ユカリの胸はワクワクだろう。
 そして最後に、私から。オレンジ色のリボンが掛かった小箱。
「へぇー、このリボン、石村君のネクタイやソックスと同じ色なのね。何が入っているのかな? 開けてみようっと」
 私がうつむいていると、
「ひゃーっ! 何、これーっ? みかんの、ダルマさーん?」
 びっくり顔のユカリの問いかけに、うつむいたまま、私は答えた。
「俺のとうちゃんが考案して形にした、津久見のマスコットキャラクターじゃあ……」 
「ひゃーっ。そうなんだー。いちおう、女の子よねー、これ。スカート付いてるしー」
「そ、そうみたいじゃのう……」
「名前は、あるの?」 
「つ、つ……」
「えっ?」
「つく、つく……」
「ええっ?」
「つく、つく、つく美ちゃん……。つく美ちゃん、じゃあ……」
「つくみ、ちゃん?」
「お、俺じゃあ無えぞ。と、とうちゃんじゃあ、名前を考えたのも。津久見のマスコットじゃあけん、つく美ちゃん。そういうことらしいんじゃあけどの……」  
 消え入りそうな私の返答に、ユカリは、しばし沈黙し、それから顔を崩して大笑いしながら言った。
「アハハハハーッ! とうちゃんまで面白いのねー、石村君って!」
 
 
 
(※注)津久見の子供だって、大分のデパートへ連れて行ってもらえばレストランで食事ができたし、別府の遊園地へ行けば乗り物で遊べた。だが、その規模やクオリティにおいて、やはり東京には敵わなかった。


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