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祖父とうなぎの記憶

先日、高校受験の合格発表があった
嬉しいこともあれば、辛いこともある
教え子と蕎麦屋に行き、穴子丼を口にした時
忘れられない記憶がフラッシュバックした

忘れられない食事がある。
祖父と一緒に食べた鰻重だ
もうかれこれ25年近く前のことになる。

今はハードワークをしても
体を壊すことなく仕事に穴を開けずに働くことが出来ているが小学校の頃は病弱だった。
小さい頃はアトピー性皮膚炎で病院によく通っていたし症状は軽かったが喘息も患っていた
小学6年生の頃には、肝臓を患って長らく学校を欠席したこともある
(この頃はトイストーリーを何回も見て勇気をもらっていたなあ)

私の両親は共働きで、
普段面倒を見てくれたのは祖父母だった
いわゆる亭主関白風に、祖母にイカの刺身を作ってもらい、夕方になると、いつも決まってそば焼酎を口に含んでいた
祖父は老いもあって酒癖が少し悪く1日に何度も同じ質問をしてくることもあった
「勉強はしたか?」
「今日、学校はどうだった?」
その問いが煩わしく感じることもあった

そんな祖父がある日、病院に行く前に言った
「美味しいものを食べさせてやる」
正直、期待はしていなかった。
連れて行ってくれたのは病院への道中にある老舗のうなぎ屋”三浦屋”
特に、好物ということもなかったが
やや薄暗い店内に客はおらず、座敷に腰を下ろす
祖父曰く、どうやら注文が出てからうなぎをさばき調理するらしい。注文してからとにかく待つ
私の期待値は時間が経過する毎に下がっていく。
ただ随分待つと、
甘く柔らかなタレの香りが鼻に届いてきた
随分と豪華な重箱いっぱいに、黄金色に輝く鰻が敷き詰められていた
箸で柔らかな鰻と下に隠れたご飯に箸を入れ口に頬張る
その味は覚えていないが、とにかく忘れ難い幸せな瞬間だった

あれから、私の”好きな食べ物”が変わった
大人になり、たまの贅沢として鰻を食べにいくことはある
ただ仙台の老舗でも本場・静岡のうなぎであってもあの時の感動を超えることはない

大船渡市に帰った時
三浦屋の前を必ず通る。ただ一度も店に入ったことはないし、入ろうとも思わない
祖父と一緒に行ったあの時を超える感動をもらえる自信がないからだ
病状の回復と共に祖父と食べたあの鰻の感動はいつまでも私の中に焼き付いている

次に行くとしたら、それは”未来の孫”が落ち込んでいる時なのかなと思う

#元気をもらったあの食事

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