人間何ももってないんじゃないか説:寝る前の備忘録
風呂入って花の慶次読んでたら、そんなことに思い至った豪雪婦人です。
いや、もうちょっと話を遡れば、仕事辞めたくて仕方ないと感じたところがスタートなんですけどね?
1.仕事きつい
というより、入社したのは法人営業なのにコロナの影響とかで個人向け営業の研修(実務)をこなす毎日。
しかもこの個人営業がまあ合わないこと合わないこと。
私はいろいろしっかり準備してから挑みたいのだが、お客様が来るとやれさっさといけだの、成果あげてこいだの、要求ばかりで。挙句休憩時間も所定の1時間いただけない始末。やってられるか、とね。
これが社会人の普通だ、と言われる方もいるかもしれんけど、まあ私には知ったこっちゃないですわ。
きついもんはしっかりきつい、やめる。
そんな毎日でした。
そこで、気分転換に温泉に行ったわけです。仕事終わりの温泉は格別ですね…。
2.出会った前田慶次という男
その温泉は温泉プラス漫画読み放題なんですが、見つけちまったぜ花の慶次。
手に取って読んでいくんですが、まあ面白いこと面白いこと。やりたいように生きていく。そこに文字通り命を駆けていく。かっこいいったらありゃしない。
男として惚れるなという方が無理なわけですわ。憧れます、あんな生き様。
何が違うんでしょう?としばし思案していく中で、私になくて前田慶次にあるものが一つ思い浮かんだわけですよ。それが死への覚悟。
3.彼の生き様、命がけ
前田慶次はフィクションのキャラだからカッコよく見えるというのもあるんでしょうけど、一番は死を覚悟して何にでも当たるということ。なんでも命がけ。
惚れた女にも、惚れた男にも、馬にさえ常に命がけなわけです。その度に敵を作っては殺されかけるという始末。
彼に取っては命すら惜しくないものに、彼の生きる力を全てかけ続けているわけですね。
4.思い至った、「何ももってない」
何故そんなことができるのか、という疑問が浮かぶということは、私にはそれができないわけです。
思いついたのが命を失うのが怖いからかな…?
あれ、単純じゃないかな?自分には命があるものと考えているから、失うのが怖いと…。
で、話を戻して仕事について。じゃあ、仕事を辞めるのが怖いのは…仕事は3年はやらなきゃならぬという世間の目をくらうこと、収入がなくなること、どうやって生きていくか不安なこと…。まあいろいろありますわな。
あれ、世間の目って私に向いてますっけ…?収入がなくなってすぐ死にますっけ…?どうやっても生きていくしかないんじゃないですっけ…?
いろいろ考えていくと、私って何か持ってますっけ…?
で、結論「何ももってない」じゃん…?
5.何ももってない
お金なんて紙切れであるのは人々の信用だけだし、食べ物も売ってるのは食べやすくなってるだけで、それを失えば何も食べられないわけじゃ無い。服だって、最悪着なくても死にはしないし、もっと言えば明日生きてるかもわからんやん?
あ、私って何もない。というか、この世の人間何ももってない。つまり失うものなんて何もない。
ただし二つだけ持ってるものがある。それが
「自分」と「今」だけ。
6.持ってる「自分」と「今」
自分ってのは体の内側とか、自分の気持ちとか、考え方とかの総称です。これは誰もが持ってる。
そして「今」も確かにある。だって、これを読んでる人はいつ読んでるのか、今でしょ?…古い?
でもつまりはそういうことなんじゃないかな?と思います。
それ以外のものは自分が持ってると錯覚してるものだけ。
だってお金をかければなんだって所有権動くじゃないですか。
ただしどう頑張っても「他人」が完全に「私=自分」にはなれないですし、一億円積まれたって「今」体験してることをあげることはできない。変換して渡すことはできるかもしれないけど、それはそっくりそのままあげるわけではないですから。
だから、持ってるものなんて本当に身一つだけなんです。
だったら、失うものなんて実質ないですよね?
7.ビビる必要はない、何も失わない
ということは、何に挑戦しても実質失敗なんてあり得ないのかもしれないですね。いつでもやり直せますから。
そんな意味も込めて、仕事についても考えてみようと思います。
今日はそんなもんで!