誰かの不幸との向き合い方

卒業設計の提出が終わり、開放感から小説を3つも買ってしまった。先日、そのひとつである、伊坂幸太郎さんの『サブマリン』を読み終えた。

小説の感想を書くのは、こんな解釈でよいのかとか、どうでもいいことを悩んでしまって苦手なのだが、せっかく読んで、せっかくいろいろと思うことがあったのだから、書いておこうと思う。

始めに言っておくと、『サブマリン』という小説は、『チルドレン』の続編にあたるらしい。だけども、私はチルドレンの方は読んでいない。でもまあ、知らなかったから仕方がないし、チルドレンを読んでいなくても、サブマリンは楽しむことができた。

サブマリンを読みながら、ずっと考えさせられたのは、「自分が直接的に関わっていない犯罪に対して、どう向き合っていくべきなのか」という、答えの見つかりそうにない問題だった。

被害者に寄り添えば、どんな理由があったとしても、犯人を許すことはできない。目には目をの制裁を加えたいという気持ちも理解できる。

一方で、その事件が故意ではなく、突発的な事故によって起きてしまったのだとしたら。加害者にも同情の余地はあるのだろうか。もしくは、加害者がまだ子どもであったら。深く反省していたら。私はどんな気持ちになるべきなのだろうか。

そして、私にとって一番の悩みどころは、そのような細かな背景を、事件に直接関わっていない私には、知りようがないということだ。

十分に状況も把握できないまま、私にどんなリアクションができるというのだろうか。テレビの前で、流れてくるニュースと、コメンテーターの意見を聞きながら、私は沈黙してしまうことも多い。

何も分からないなら、すべて想像するしかない。ひとつひとつの仮定に基づき、私が発するべき意見を探していると、目が回りそうになる。そして、すべての可能性について考えることなど不可能だと気づき、結局何も言えなくなる。

テレビの前で、私が彼氏に言うコメントなんて、誰かに届きようもない。だけど、何故か考えてしまうのだ。考える元気がない時は、ただ誰の立場に立つでもなく、「辛いね」と言ってしまう。何も言えない私も辛い。

なんだか、くらーい感想を書いてしまったけれど、サブマリンではそんな答えのない疑問に対して、まっすぐに、ひねくれることなく、かと言って答えを出すわけでもなく、向き合っている。

物語としても面白く、読み終わった後に心に何か残していく。私好みの小説だなーと思った。

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