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間がないのを間抜けという

<昔聞いた禅問答>
尺八の弟子が師匠に聞きました。
『どこを一番音楽的に表現すれば良いのでしょう』
師匠は答えました。
『音を出しきって、次の音を出す’間’じゃ。ここが一番音楽的でなくてはいけない』
『音の無いところですか?』と弟子が問うと、うむ、と頷き
『それが無いのを間抜けというのじゃ!がっははは』
と笑いました。

<間の欠如> 

この’ま’なんですけど、近年は音だけではなく全ての事においてなくなってきてる気がするんです。映画なんかもデジタルで全て見せられちゃうと隙間がなくて想像する時間がない。ネットの情報量も多くて早くて考える隙間がない。世の中は、どんどん便利になっているようだけど隙間はなくなっている。

この'ま’の欠如が想像力を奪い取っている気がします。

 私たちの世界は物質と空間で成り立ってます。空間には見えない物質も存在していますが、それらを含めても空間の方が割合を占めています。宇宙は星より空間の方がずーと広いし、体の中の細胞の原子と電子の間はすごく広いらしい。そんなミクロやマクロの世界を見なくても目の前を見渡せば空間の方が多いことがわかりますね。

惑星科学者のジェームズ・オドノヒュー氏が作成した動画では、太陽系の大きさや距離、空間などを正確に表すことがいかに難しいかが説明されている。
ほとんどの太陽系の図は縮尺どおりではない。もし正しく描いたとしたら惑星をほとんど見えないだろう。
このアニメーションは太陽系がいかに大きいかを示しています。

Business Insider太陽系があまりに広すぎることがわかる動画…正しく描いたら惑星は見えない より  https://www.businessinsider.jp/post-203228


Poetess of Tenはクラッシックですけどスペース(間)感がよくわかります。そしてミクロとマクロがあまり変わらないことが実感できます。


<空間に存在する見えないもの>

 空間に存在する見えない物質によって、私たちは混乱しているのが今の状況です。なぜ見えないのに、そこに存在していているのがわかるのか?

それは専門家が存在するし危険と言っているから?

あるいは、世界中の大勢の人がそう言ってるから?

大勢の人が亡くなっているから?

しかし、実際のところみんなよくわからない。わからないから怖い。その恐怖心がまた恐怖心を生む。

疑心暗鬼がこんなに簡単に広まるとは思ってもいませんでした。今の世の中’余裕’という’間’はどんどんなくなってきている。

僕はこの尺八の師匠の教え通り'ま’を一番に大事なことだと思っています。山と都会を行き来し、山の静けさという音の中で、あるいは都会の喧騒の中で、より空間というものを考えるようになりました。

 そして、もちろんこの空間にある見えない、人類にとって悪い物の存在も認識し防御もしますが、それよりも、私たちにとっていい存在を強く信じていくべきだと考えています。

さて、この目に見えない私たちにとっていい存在、例えば微生物たち

抗生物質が効くからと、ちょっとした風でも薬を飲み続け、気がつけばスーパー耐性菌なる、あらゆる抗生物質が効かない菌が出現するとこまで来ています。それでも今の世の中どこに行っても消毒しまくりです。アルコールはウイルスを殺しますが、ウイルスから守ってくれる菌も殺すんですねー。病気が増えるわけだ。

恐ろしいのは消毒すればいいと思い込んでしまうことではないでしょうか。消毒のしすぎは当然免疫力が落ちていきます。大人はもちろんですが小さな子供達はもっと問題です。他にも色々な要因はありますが、昔に比べ弱い子供達が増えているのは事実です。

<間を大事にする>

とはいえ、世の中そちらの方向にどんどん進んでいて、立ち止まることは不可能でしょう。ならば、この目にみえない、私たちにとっていい存在である微生物たちを増やすことをすことをするしかないのでは、そして、もう一つの目に見えない存在『気』です。これこそが最大のポイントではないでしょうか。『元気』とは気の元です。ですから元気がなければ、全ての気は枯れてゆき『病気』になります。東洋医学的な考えだと思いますが。その通りだと思います。だって『病は気から』って昔から言われてるし。’

ではどうやって『元気』になるのか?それは人それぞれです。

家族と旅行することで元気になる人

友達と馬鹿騒ぎして元気になる人

コンサートに行って元気になる人

クラブで踊って元気になる人

一人で趣味の時間を費やすのが元気の秘訣というオタクな人もいますが、やっぱり人と会うことが元気になると思います。しかしコロナ渦の中、元気の元である人と会うことを制限されています。私たちは気の元を探し出さなければなりません!そうしないと気が枯れて病気になります。

<空間の中の微妙>

「お前の話おもろいけど、時々ビミョー」と思われるかもしれませんが、微妙な話です。元は仏教用語でミミョウと言います。「言葉では言い尽くせないくらい不思議で奥深く素晴らしいこと」

「空に美しい天女が現はれ、此世では聞かれぬ程の微妙な音楽を奏し出した/吾輩は猫である 漱石」
 いやむしろ微妙なと云ってもよい程の風の音のするのに気がついた。(岩本素白『こがらし―南駅余情―』)

やはりこんな時代だからこそ『ま』に集中し、その空間にある微妙(ミミョウ)なバイブレーション(音)を見出し、元気にシフトしていくしかないでしょう。

どう考えても疑心暗鬼で毎日過ごすより、その方が幸せに生きていけるはずですから、間抜けにならないようにしないと、と緊急事態宣言の発令された数日前に還暦を迎え、この混乱の中でみなさんと同じように色々と考え、自分の人生を顧みて、何か新しいことをしようと人生初の尺八を作り吹いています。

先日久しぶりに友人に会って話が盛上がった。彼は「shiba@アート思考」というページを運営していて、非常に興味深い話をしました。そして僕もこのノートに参加することにしたのだ。この投稿が最初のステップで、まだ、フォロワー0だし、何をどうすればいいのかよく分からないけど、放浪の旅の話や、路上演奏で出会った人々の話、15年もの間毎年1ヶ月間Gocooとの世界ツアー珍道中の話 色々書いていきたいです、そして誰かに読んでもらいこの気持ちをシェアーできることを願い、そして読んでくれたことを感謝します。

 仏の大悲は「深遠微妙(じんのんみみょう)」であり、その説法は「微妙法音(みみょうほうおん)」である。『無量寿経』には「普く十方のために微妙の法を説きたもう」とある。玄奘三蔵が訳した『説無垢称経(せつむくしょうきょう)』には

「微妙なるはこれ菩提なり、極めて覚り難きが故に」

と説いている。

それではみなさん、間の中の微妙を見つけてゆきましょう!

約二ヶ月前に初めて尺八を作り吹きました。それまでトライしたことはありましたが音が出せませんでした。しかし、新しいことに挑戦しようと思い作ったのです。動画は2本目のより長いものです。お師匠の言うように間を音楽的にするよう心がけて吹いてみました。


ー「喜捨」の意味は功徳を積むため、金銭や物品を寺社や困っている人に差し出すこと。ー あなたの喜捨に感謝いたします。