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スポーツも人生も結果が最強説?

「結果が全てちゃうで!!」
「目標までの過程を大切にしていこう!!」
そう言われながら、中学・高校と部活動を頑張ってきた。

人間としてまだ未熟と言われている年代には大切な事だと思う。
特に、部活動においては体力・技術の向上と同じぐらい、人としての成長に重きが置かれている。

私もそういう指導の中で、そういうマインドを大切に取り組んできたことは本当に良かったと、今でも思っている。

大学にもスポーツ推薦で入学して、日本代表にも選ばれて、4年間競技に没頭してきた。
大学4年間の後半は思うように結果が出なかった。
結果が出ない苦しい中で、かけられる声はやっぱり「結果が全てではないよ」という声。
その言葉に救われる自分。

でも、今思うとそれは、
「結果が全てではないから、負けても大丈夫」という意味も含まれていて、「結果が全てではない」という言葉の裏側にある意味に自分自身が安心していただけ。

20歳を超えて、競技を通して、人として成長するなんて当たり前。
大前提として、常にあるべきマインドだったと思う。

そういう前提の中で競技をやっていこうと思うと、やはり追い求めるのは「結果
「結果が全て」という言葉の本当の意味が、最近ちょっと分かった気がする。

人はみんな自分の過去をどういう風に捉えて生きていくのかで、自分が今、幸か不幸かを判断していると思う。
結果(自己ベスト・優勝)さえ出してしまえば、その過去がどれだけ苦しい道のりであったとしても、急に輝き始める。

勝利者インタビューでも「あの怪我があったからこそ、ここまでこれました!」と何度か耳にした事がある。

実際に、私も選手生命の危機に遭いながらも、苦しすぎるリハビリを終えて、表彰台の一番上に戻ってきたという、なんともドラマテックな物語もある。
(前のnoteに書いてるから見てみて)

やはり、その時も苦しかったリハビリ生活や悔しさが、笑ってしまうぐらい一気に報われて、光り輝きだす。
マイナスが大きい分、その分輝きも大きい。
誰かから「あなたのやってきたことは正しかったよ!!」と言われている気分にいつもなる。

結果は全てをひっくり返して、過去を幸せだと捉えられる最強の材料だと思う。
まるで、オセロで相手の色がどんどん自分の色に変わっていくように。
最強すぎない??

先日、同じ競技をしている親友から競技を続けるかやめるか、という相談を受けた。
多くの素晴らしい成績を残してきた彼にとって、とても大きく重要な選択だと思う。

どちらに決断するかも、もちろん大切だと思うけど、決断した道のりでしっかり結果を残すという事が意外にも大切なのではないかと話した。

強引な力技ではあるけど、結果さえ出してしまえば、自分自身はきっと幸せでいられると思うから。
もちろん、結果を出すために何でもかんでもやって良いと思わない。
あくまで自分の信念は貫き通す。

究極は「自分が絶対に結果を出せると信じる道を突き進む」ことができれば、どの道を歩いていても幸せになれるのではないかなとも思う。
だって、自分はその道を100%信じたのだから。

私は来年の今は、もうアスリートでなくなっている。
私は12年間の競技人生を必ず最高の結果で締めくくると決めている。
力技でも泥臭くても良いから。
苦しかった事も悔しかったことも、全て自分の生み出す結果で輝かせたいから。

人生もスポーツも結果が全てだ!とまでは思わないけど、道のりを豊かにしてくれるものだとは思う。

終わりよければ全て良し
この言葉がこんなにも魅力的に感じてしまう日が来るとは..