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Clubhouse と 道長


「この世をば我が世とぞ思う望月のかけたることもなしと思へば」


(この世はまるで私のためのものであるように思う。満月に欠ける部分がないように、私は完全に満ち足りているから)


という日本史上でも指折りの全能感がある歌を詠んだ藤原道長。
日本史の教科書の中では、娘を3人も天皇の后とし、摂政・関白・太政大臣を歴任、栄華を誇った人物として登場するため、名前を知っている人は多い。

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だが、その晩年はあまり知られていない。

藤原道長は甘いものが好きだったようで、糖尿病と推測される症状を患っている。
多くの子供たちに先立たれた後、62歳で亡くなる。

死の数日前から背中にできた腫れ物に苦しんだと言われている。
死期を悟った道長は、法成寺に入り、
阿弥陀如来像の手と自分の手とを五色の紐で繋ぎ、そのまま往生したといわれている。

臨終の際の気持ちは推測しようもないけれど、絶世の権力者であったぶんだけ、それと強いコントラストで、死の直前にむき出しになった人間の根源的な孤独感を想像してしまう。
つながっていたい、導かれたいという気持。

ひるがえって現代。
2021年1月にClubhouseが にわかに大人たちの間で流行りはじめたので、常時つながって会話するスタイルが急速に認知されてきている。常に接続している、というスタイルは珍しいものでなくなってきている。Clubhouseに限らず、LINE通話やdiscord、Spoonなどでも、つなぎっぱなしで寝落ちする人たちが増えてきている。

道長の姿と現代人の姿はダブって見えてくる。

阿弥陀仏に5色でつながった紐を強く握りしめる道長、
クラウドに5Gでつながったスマホを強く握りしめる現代人、
意識がなくなるまで、手放さずに、こころの中でこう祈っている。

「どうか私とつながっていて」

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