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次の100年の著作権について考えてみる

こちらのサイトを拝読し、これからの著作権についてどのようにあるべきか?の思考をめぐらせたのでnoteに記す。

著作権とは何なのか

著作権の一般的な定義は以下のとおり。

著作権(ちょさくけん、英語: copyright、コピーライト)は、知的財産権の一種であり、美術、音楽、文芸、学術など作者の思想や感情が表現された著作物を対象とした権利である。このうち著作者の権利は、財産的権利(著作物を活用して収益や名声などを得ることができる著作財産権)と、人格的権利(著作物の内容と著作者を紐づけることで、著作者の人間性を正確に表現する著作者人格権)に分類され、とりわけ著作財産権は狭義の著作権と同義とされる。また、著作物を伝達する者(実演家、レコード製作者、放送事業者など)に付与される権利(著作隣接権も最広義の著作権の概念に含まれる。

wikipedia

また、著作権の発生した経緯は、以下に端的にまとめられている

著作権という概念は、印刷技術の出現とその後の一般大衆の識字率の上昇に伴い、考え出されたものである。著作権を表す英単語 copyright が示す様に、その起源は印刷業者による複製 (copy) の権利 (right) であり、18世紀初頭の英国において、印刷技術の独占権として発生した。英国において、国王は無秩序に本が複写されることを問題視しており、国王の大権 (royal prerogative) により1662年のライセンスに関する法律を成立させた。この法律では、ライセンスを受ける本の登録方法を確立した。そのためには、書籍出版業組合にその複写を預ける必要があった。本のライセンスは永久に永続し、長期にわたる利益を印刷業者に与えた。

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すなわち、著作権(おもに著作財産権と著作隣接権)というのは、活版印刷技術やレコード技術が出て以降に、出版物の大量の模倣品が問題化するようになってから考慮されるようになった概念である。

テクノロジーによるコピー権(ディストリビューション)の民主化によってコンテンツ製作者が著作物の利益化が脅かされると感じた結果、法の力によってそのコピー権を収奪し、情報へのアクセスをコントロールできる権力を与えることによって、集金マシーンを成立させた。以来、15世紀から現代にわたるまで、この方式は成立しつづけた。

著作権法における、他の法律との違いについて

著作権を定めた法律は、他の有体物の権利を定めた法律と大きく異なる点がある。それは、「登録を要さず(無方式主義で)著作権が発生し」「存命中+死後70年という超長期にわたって財産が同一人物に帰属する」という点だ。

登録を要さず(無方式主義で)著作権が発生し、しかもその権利保護期間が「著者の存命中+死後50年」という驚くべき長期にわたる制度を、法的に是認することができません。永久に続くはずの所有権の代表例である不動産でさえ、転々流通し所有者が変わるばかりか、相続が起きれば分割されるのが通例です。「死後50年」も相続財産として同一人物に帰属することは稀でしょう。数ある権利の中で、ひとり著作権だけが「超長期の排他権」を享受できると考えるのは、バランスを欠いているとしか思えません。

林「情報法」(49)

著作権を他の有体物と同様に財産として規定する試みとしては、米国の憲法論に由来する「思想の市場」(Marketplace of Ideas)理論がある。有体物が市場原理に基づき取引されるように「言論」も市場の取引を可能にすれば、優れた商品が生き残るのと同様、優れた言論が選ばれていくのではないかというものだ。
ただし有体物との違いは以下が挙げられる。
①価値の不確定性
②占有不可能性
③複製容易性
④返還不可能性
⑤法的救済の不十分性

ここで挙げられる違いは、すなわち市場取引には向いていないということだ。

経済合理性と著作者の意識

そのような状況下において、著作物の市場原理に基づく価値と、著作者の思いには乖離があると鋭い指摘がある。

著作権保護期間をいたずらに延ばしても別に誰も儲からないし、DRMなどでプロテクトをがちがちに固めても単に誰も見向きもしなくなるだけ、というのは常識的理解でもあり経済学のコンセンサスだと思うが、著作権者は受け入れない。著作権者は、自分が心血を注いだ作品が、値段が(海賊版のような)ゼロ円でしか読まれない、あるいは場合によってはゼロ円ですら誰も見向きもしないという事実に直面したくないのだと思う。

八田真行氏facebook

どうすればよいのか?

コピー権の収奪をしたいというニーズに端を発する著作権が、生まれながらの超長期の財産権を認めた。しかしテクノロジーの進化により、コピー権のコントロールが事実上不可能になっている。この乖離によって、さまざまな矛盾が発生している。それにたいする一つの解決策として「2階建て方式」という案が存在する。

結局この種の問題を解決するには著作権を「二階建て」にするしかない、というのが、かつて存在したロージナ茶会の周辺で10年以上前によく議論されていたことなのだが、条約の問題とかもあって誰も相手にしてくれないんだよな(わらい デフォルトの著作権は7年(ドッグイヤー)とか短くして、延長したい人は毎年1万円くらいの延長料を払って登録するようにすれば、どうでもいいものはすぐパブリックドメインになるし、ディズニーのようなカネのなる木は事実上永遠に著作権を主張できるし、不遇のまま死んだ作家の遺族はいつか認められる日を夢見て待ち続けることができるし、国にはお金も入るし、(お金を払って延長するくらい)優良な著作物のデータベースも勝手にできるし、みんなハッピーだと思うのだが。

八田真行氏facebook

この案は秀逸だと思う。

コピーを劣化なく事実上無限にできるテクノロジーを手にした今、その集金マシーンは機能しなくなり、解体されようとしている。
一部には、コピーした音楽盤をオマケとして、コピーされない「身体性」や「時の共有性」をメイン商材するアイドルグループも出現してきて久しい。

さらには、計算機による自動探索の高速化で、ヒトが作り出しうる文章や音楽のパターンをすべて先回りで生成してしまう存在も、まもなく生まれてくるであろう。そのとき、無方式主義で登録を要さず発生する著作権とは、だれのものになるのであろうか。
おそらく規定できない。

パブリックドメイン化された「人類の集合知性の結晶」に対し、それを扱う者が「身体性」と「時の共有性」、「特権意識」を買わせることで利益化する時代が、もうそこまで来ているように思う。(例:Youtuber)

で、あるならば、著作物を保護するとか、利用を規制する方向ではなく、積極的にオープンにすることで、人類の集合知とし、それを誰もが使えるようにしたうえで、それを使う「場」に課金するという方式があり得る。

おそらくその場合も、著作の発表後数年においては、著作者が最も価値のある「場」を提供できるだろう。また、場の設定の上手さ、声の大きさで収益が収奪されるという危惧があるならば、存命中+50年などとは言わないまでも、発表(なんらかのパブリックへのリリースが必要なように思う)から5年程度の短期間において、独占的に著作者が権利を保有するかたちでよいかもしれない。

ただし、死後何十年とかいったレベルの現在の権利保有規定では保存期間が長過ぎて、人類の知性が成長する機会・スピードを失いかねない。

「人類の集合知性の結晶」をいかに共有し、人類が成長する方向に使えるか?が今後の人類の進化に必要な気がする。

そこでの2階建て方式は、秀逸な案だと個人的には思う。



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