「どこの国製か」で製品を評価する時代はもうとっくに過ぎたんじゃないでしょうか
このまとめについて、思うところがあったのでnoteに記します。
原料生産国?アッセンブリー国?販売国?
「最終製品のアッセンブリー場所」で国単位で勝ち負けを語る意味は、この現代にあるのでしょうか。
たとえば車の話ばかりで恐縮ですが
・テスラ→バッテリーはパナソニック
・ベンツ→商用バンのプラットフォームはルノー日産
・フィアット→車台はジープ
・トヨタ→北米でしか売らない車種をメキシコで生産
・Apple→みんなが大好きiPhoneはアメリカで作ってすらいない。
これらは「どこ製」なんでしょうか?
貿易摩擦による生産委譲などもあり、すでに国による「得意・不得意」で工業製品の質が決まる時代ではなくなっています。
産業革命以降の最終製品生産の主戦プレイヤーは、イギリス→アメリカ→日本→韓国→中国と移り変わってきたと思います。
既にイギリス・アメリカはそこで競っておらず、日本も韓国もその(イギリスやアメリカの)段階に入ろうとしています。
プロダクトデザインで日本は遅れをとっている?
優れたプロダクトデザインの話であれば、20年以上前からヨーロッパの主要な車メーカーのデザイン中枢に日本人がおり、フェラーリF1のレースディレクターにも日本人がいます。
最終生産国がどこか?でプロダクトデザインの良し悪しを国や人種で判断される話なのでしょうか?
日本は「真似られるソフトウェア側」に移行しているというだけではないか?と思われます。
50年前の英米が、日本にされてきたこと、それが繰り返されてるだけのようい思います。
マーケットインすら、解決にならない
「ガワが洗練されていて値段が高くても売れるから、中国製品は脅威!」
に対し、
「日本はそれを理解して技術競え!マーケットインしろ!」
というのは、評論としてはやりやすいのかもしれません。
ただ、それで解決にならないと思うのは、
日本車に負けたアメ車が、従来のガソリン車でふたたび世界を席巻することがなかったからです。
そして、次に席巻しようとしているアメ車は、マーケットインで生まれた「カイゼン車」ですらなかったからです。
戦場を変えるしか無い、というか、戦場は変わっていく
日本車みたいなアメ車を作っても、アメリカは勝てませんでした。
しかし、アメリカは日本車に搭載される半導体を握り、ソフトウェアを牛耳って、テスラをはじめとする自動運転車によって、「車という概念」を変えて再び凌駕してきた。ゲームチェンジしてきたのです。
そしてさらにいうと、テスラのその自動運転EVに対し、ドイツやイスラエルはセンサー・制御装置という代替えが効かない中枢を握っています。
この場合の勝ち負けってなんなんでしょう?
国VS国の勝ち負けで語る意味ってあるのでしょうか?
いま、やってることが下町ボブスレーになってるかなってないかは、製品の金玉握ってるかどうかじゃないでしょうか。
僕らは、国ではなくて、その製品が夢見させてくれる、ストーリーの強度にベットしているのではないですか。
これからの日本が夢見せることのできるストーリー、戦える戦場って、いま何があるか、少し考えてみたいと思いました。
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