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シオンが生まれた時のこと

次男シオンの妊娠がわかってから、私たちは夫の実家であるマナドで里帰り出産すべく準備を進めた。10月末にまず私と長男ニコがマナドへ赴き、11月末に夫が合流し、私の滞在手続きを進めつつ出産の時を待った。赤ちゃんは順調に育っていたけれど、マナドで通っていた産婦人科のドクターからは「37週で3kgと大きめだし、あなたは35歳で高齢出産にあたるので帝王切開を選択肢に入れた方がいいかもしれないわね」と告げられ、夫と私は正直出産への期待より心配の方が強くなった。

妊婦健診のたびにどちらを希望するかのヒアリングがあり、毎回「普通分娩を希望」と伝えながら完全に迷いを断ち切ることはできなかった。というのも、ニコは予定日の2週間前に生まれ、2500g台とかなり小さかったにも関わらず、微弱陣痛で分娩時間は44時間に至り緊急帝王切開寸前での出産だった。今回37週で3kgを超えているということは、この後42週目までにどれだけ増えるのか、もし増えなかったとしても前回より500g以上も大きな赤ちゃんを普通に産めるのか、不安を抱かずにいられなかった。

39週の妊婦健診で、ドクターから提示されたのは「42週目まで普通分娩前提で待つ」「なるべく早く帝王切開する」のふたつに加えてもうひとつ、「明日から入院して陣痛促進剤を打ち、3日待って生まれなかったら帝王切開で産む」という選択肢だった。3日という期限はクリスチャンの多いマナドではクリスマスイブから26日まで手術対応ができないためだった。私自身、42週目まで待つ勇気がなかったことと、普通分娩と帝王切開で決めかねていた気持ちがあったため、この3つ目の選択肢を取ることにした。

翌朝入院とのことだったので帰宅後ゆっくり準備しようと考えていたら、分娩室に案内され、錠剤の陣痛促進剤を入れられた。「深夜に我慢できないほど痛くなったらすぐに、痛くならなければ明朝7時までに病院に来てください」との説明を受け、そわそわしながら帰宅し、入院準備をして、その後一応眠った。

ベッドに入ってからお腹の張りは強くなり、4時過ぎには痛くはないものの5分おきに強いお腹の張りがあった。経産婦だから進みが早いかもしれないとハラハラし、仮眠していた夫を起こして病院へ向かった。5時頃、病院は24時間開いているけれど受付には人がおらず、しばらく夫がうろうろしながらスタッフを探し、ようやく仮眠明けのおばあちゃんスタッフを捕まえて入院手続きをしてもらった。意外と記入すべき項目が多く、かれこれ1時間ほど要した。まだ差し迫った痛みでなかったことが救いだった。

手続きを終えて、入院する個室に通されて朝食のおかゆとゆで卵を食べ、マンディ(シャワー)、それからいよいよ分娩室で陣痛促進剤投与という流れだった。分娩室には分娩台はなく、固い処置用ベッドが3つ並んでいる。ここは普通分娩用の部屋で、帝王切開用の部屋は隣接する別室になっていた。ベッドに寝転び、計測用の機器をお腹にベルトでくくりつけて赤ちゃんの心拍をモニタリングする。異常がないことを確認した後、点滴で陣痛促進剤を入れていく。

1本目の点滴ではお腹の張りは強く腰痛も感じたけれど、陣痛には至らなかった。朝9時から13時までで子宮口はたったの1cm。陣痛促進剤を入れたらすぐに反応があるものだと思っていたのに、こんなにリアクションが鈍いこともあるのかとちょっと驚いた。ドクターが「今日はあともう一本追加できるけど、今からもう一本試すか、今日はもう休憩して明日にするか、どうする?」と聞きにきた。その時、夫は外に出ていて、ひとり悩んだ挙句もう一本続けることにした。

1本目でほぼ効果が見られなかったことで、なんとなく家族もドクターたちも「今日の出産はなさそうだ」というムードになっていたと思う。長丁場になりそうだったので義母と叔母がニコを連れて帰り、夫も外に出て時間を潰していた。痛みを感じている本人の私だけがまだ可能性があるような気がしていたけれど、1人でベッドの上にいると痛みはどんどん遠のいて弱くなっていった。しばらくして夫が戻ってきて、「調子はどう?痛い?」と聞くので、「お腹は張るし痛みはあるけど弱いなあ」と答える。夫は私と赤ちゃんを励ますように背中を軽くマッサージしてくれた。すると、不思議なことに痛みが少しずつ増していく。「赤ちゃん、パパが一緒にいるのわかってるみたいだよ。私ひとりだと痛くなかったのに、今少し痛みが強くなった」と伝えると、夫は「へえ!」と自分のいる意義を感じてマッサージを続けてくれた。その甲斐あって、痛みは徐々に強くなっていった。

その頃、隣のベッドでは私より後から入った妊婦さんが赤ちゃんを産んだ。「ううーん」という苦しそうな声が何度か聞こえた後、赤ちゃんの泣き声が聞こえて、思わず夫と顔を見合わせた。涙が出てきた。私たちも続くぞ、と背中を押された気持ちだった。

そこからは痛みはだんだんと増す一方だった。いたたた、と声を出すようになってから、夫は「息してね」と声をかけてくれていた。そのうち、痛みが強くなり私の呼吸が浅いと心配になったようで、息を吹きかけながら声をかけてくれるようになったのだけど、気が紛れるのか、呼吸を促されるのか、息を吹きかけられている間は痛みが和らぐことがわかった。それで、いよいよ痛みが増してからは「息フーってして!」「他のことはいいから、フーフーだけして!」と半ばキレながら夫に伝え、夫は最初話しかけたり、言葉でも「息して」と言っていたのだけど、私がすごい剣幕で訴えるので、陣痛の波が来るたびに酸欠になりながら私に息を吹きかけ続けた。そうこうしているうちに、助産師さんが来て子宮口をチェック。この時点でまだたった3〜4cmしか開いていない。絶望に近い感覚に襲われた。陣痛促進剤は残り3割程度もある。正直今すぐやめたいと喉から出かかっていた。でも、夫が本当は普通分娩希望だったことを知っていたから、幻滅されたくなくて言わなかった。その代わりに、陣痛の合間を縫って「今日もしこのまま出産に至らなかったら、明日は陣痛促進剤じゃなく帝王切開にしてもいい?今日はがんばるから」と涙ながらに訴えた。夫は一瞬言葉に詰まった後で、いいよ、大丈夫よ、と言ってくれた。それでなんとか気力を持ち直した。

それからさらに陣痛の間隔が短くなり、ついに1分おきになった。陣痛の間隔というのは、陣痛開始と次の陣痛開始の間の間隔を指す。陣痛自体は徐々に長くなり1分から1分半痛みが続くので、つまり、痛みを感じない時間が最終的にはほとんどなくなっていく。口から出るのは弱音ばかりになっていった。でも、お腹の中の痛みが、赤ちゃんが突き進もうとして生じているものだという実感もあって、口では痛い痛いと叫びながら、「少しずつ近づいて行ってるな」「出てこようとしてるんだ」と見守る気持ちもあった。痛みのたびに赤ちゃんの心拍が明らかにゆっくりになり、機器から警告音が鳴り響く。「アデ、がんばれ。苦しくない?がんばって」とお腹に向かってなんとか声を絞り出した。

陣痛の間隔が1分を切る頃には、いきみたい感覚に襲われて私はパニックになった。微弱陣痛だったニコの時にはなかった感覚。強制的にお腹に力が入り、どうやって力を抜けばいいかわからない。もはや痛みなのかなんなのか、どう表現すべきかさえわからない。自分の体なのに思った通りに動かない恐怖。「痛い痛い痛い、いきんでもいい?」と叫ぶ。夫は助産師さんに確認してから「まだよ、いきむのはまだよ。僕の目を見て、息して」と覆いかぶさるようにして目を合わせようとする。その向こうで助産師さんがゆったりとしたリズムで「はーい、数を数えてね、1…2…3…」とカウントし始めると、夫もそれに倣って「ハニー、僕の目を見て、息して、1…2…3…」と呼びかける。私はもはや何も言えずにただひたすら息だけして、目の前の夫の顔を見る。

でも、いきみたい波はたびたび訪れ、体が勝手に応えてしまう。「まだだめ?止められないよ、いきんじゃうよ。どうしてだめなの?」と叫ぶ。「赤ちゃんの頭がまだ下に来てないから待ってね、今、ドクターはみんなでブリーフィングしてるからね。ママを楽にするために準備してるよ。息して、いきむのはまだよ、息だけするよ、1…2…3…4…5…6…7…8…僕の目を見て、1…2…3…」夫は私からリアクションがなくても根気強く数を数えていた。「僕は知ってるよ、ママは強い人でしょ、大丈夫よ、ママはできるよ」

そうこうしているうちに、助産師さんたちがバタバタと準備を始め、どうやらドクターの到着を待たずにいきむことになりそうだった。夫と助産師さんの会話の雰囲気を聞いていると、ドクターは今日の出産はなさそうだと踏んで近くのショッピングモールへ食事に出ていたらしかった。けれど、夫はそれを私には聞かせず、「準備できたからね、もうすぐよ」とだけ言った。助産師さんが私の手を力いっぱい鷲掴みにしていた夫の肩から引き剥がし、太腿の付け根を掴むように言った。楽だった。「もういきんでもいいよ」と言われたくらいでドクターが到着した。彼女は「まゆ〜」といつもの困ったような笑顔で声をかけると、手袋をつけて子宮口を確認した。「もう赤ちゃんが見えてるわよ、赤ちゃんの髪の毛が見える!」と嬉しそうに伝えてくれる。太腿の付け根あたりに麻酔が打たれ、夫が確認してから「今から会陰切開するよ、赤ちゃんの頭が大きいからドクターが準備してるよ」と教えてくれた。会陰切開したくはなかったけれど、おしりまで裂けることがあるとも聞いたことがあるし、ただ頷いて従った。

準備ができ、「いきんでいいよー」と言われて、いきもうとする。でも、分娩台でなくベッドだったので力の入れ方がわからず、何度かタイミングを逃してしまった。その後、ようやく感覚を掴み力を入れ始めると、何度かのいきみで何かが出た。思わず力を抜くと「もう一度!」と言われ、夫の「せーーーーの」という声に合わせて目一杯いきむ。息継ぎしてまた力を入れたくらいで、ドゥルンという感触とともに赤ちゃんが出てきた。続いて生暖かい胎盤なども流れ出た。お腹が自由になっていく。赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえた。

ドクターか助産師さんが「ほら赤ちゃんよ、きれいにするから少し待ってね」と声をかけてくれる。私は涙と嗚咽が止まらなかった。目の前にある夫の顔を見て、夫も感無量という表情で、私は胸がいっぱいになった。「ありがとう、支えてくれてありがとう。あなたがいなかったら乗り越えられなかった」次から次へと感謝の言葉が溢れる。「僕は見てただけよ。ママはすごいよ、おつかれさま。さすが。めっちゃがんばったね。ありがとう。赤ちゃん元気だよ」夫も労ってくれる。会陰縫合と赤ちゃんの処置が終わるまでの間、私たちは2人で喜び合って、お互いを褒め合い、幸せな高揚感に浸って過ごした。「完璧なパパになるために、出産という経験をさせてくれてありがとう」と夫が言った。立ち会ってもらえて本当によかった、と心から思った。彼なしには乗り越えてられたかどうかわからない。それに、この人の粘り強さやブレずにまっすぐ支えてくれる心強さは初めて知った新たな魅力だった。

前回の出産ではこの壮絶な体験を共有できなかったから、早々に日常に戻って仕事に追われていた夫と、はじめての育児で疲労困憊する私とでは大きな隔たりがあった。お互いに自分の大変さしか見えず、思いやったり助けあったりは正直できていなかった。でも、今回は違った。あの数時間を、痛みと出血と感動とを共有できたことで、夫が驚くほど至れり尽くせり気遣ってくれた。そして、私の方も、私以上に寝不足で体力を消耗している彼に何かしたくて、ちょっとしたこと、たとえばホットティーを淹れるとか、おやつのピーナッツバターサンドを作るとか、マッサージする心の余裕が生まれた。ふたりともやっぱり産後は寝不足にはなったけれど、お互いを気遣い合う素敵な時間を過ごせていると思う。

生まれてきてくれた赤ちゃんは長男ニコの面影もありつつ、パッチリ二重の男の子だった。彼の冒険のはじまりに立ち会えた喜びはもちろんのこと、彼が私たち夫婦に与えてくれたかけがえのない時間に感謝の気持ちが尽きない。生まれてくれてありがとう。何物にも替えがたい思い出をくれてありがとう。今日という日を私は生涯忘れないよ。

2019年12月21日

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